999 02 03
📍 1:30 神経痛発症で眠れず
間欠的な痛みが続き、とうとう眠れずに起きてしまった。
左足の脹脛に、ズキズキッと飛び上がりそうな痛みが不意に走る。
原因は、おそらく食生活の乱れであろう。
「まあ、このくらいは大丈夫だろう」という健康への過信から、うまいものを無差別に食べた感覚がある。
ひょっとすると、食べたことを忘れて、夕食を二回取ったのかもしれない。
その罰である。
胃の中に余分な食物が残っている感じがし、腹の中がゴロゴロと音を立てている。天気にたとえれば、腹の中で雷が鳴っているようだ。さらに、心臓の鼓動がやけに大きく、鼓膜にまで伝わってくる。
糖尿病由来なのか、帯状疱疹の後遺症なのか、原因ははっきりしない。かといって病院で精密検査するほど大袈裟なものではない。治るのはわかっているからである。数時間は続くだろう、我慢するしかない。
経験上、何か体を動かして歩けば治まることは知っているのだが、この時間では近所をウロつくわけにもいかず、ただ様子を見るしかない。
▼作 ノリさん
神経痛 動け動けの バロメーター
📍 2:00- YouTubeを視聴。YouTuberは、ドントテルミー[大人の教養番組]、元オウム真理教の幹部、上祐氏にインタビューした記録だ。上祐浩史氏(*1)は、とても能弁である。その体験談の途中、これからが聴きたいところだ、と身構えたところで時間切れとなり終わってしまった。インタビュアーの質問は3〜4回程度で、ほとんどが上祐氏のモノローグであった。別記事参照。
📍 7:30-8:30 モーニングタイム
→ 燃えるゴミ出し、
📍 9:00- ウォーキング🚶開始
📍 9:30-11:00 atミスタードーナッツ店∟ ThinkingTimeニュースウォッチ
→記憶とは関係なく、ニュースをざっと眺めることで、生きている実感を得る。多くは深掘りせず、目を通すだけで終わる。読んで、そして忘れるタイプのニュースである。それは、知の食事のようなものかもしれない。食べては忘れ去る。
📍 11:00- to the next stage.寝不足で疲労感が大きくなってきた。帰って少し横になることにする。
📍 11:20- at Home.玄関のドアを開けっぱなしで出かけたようだ。
「きなこ」がいないので2階に上がってみた。ちゃっかり暖かい窓際に陣取って日向ぼっこだ。
→💤

📍 13:30-Jump to the next work stage.
13:30-14:30 作り置き、ランチタイム
腹6分で出かけた結果、途中のパン屋さんの香ばしい匂いに誘われて入ってしまった。
♨️腰掛けるとすぐ眠くなる→🏃出かける。
14:30-16:40🧑🦯to the next stage ウォーキング

昨深夜に、中央の薄雲の上部に縦に並ぶ光が点滅していた。その光の正体を探るためじっと見つめていたが、ついぞわからないまま、寝ぼけ眼をこすりながら寝室に戻ったのを思い出した。今夜も天気は良さそうだ。その正体は何か、調べてみよう。星にしては煌めきすぎる気がする。★追記 ‖ 251225-その後、深夜に何回か確認したが、ついぞあの三つの縦に並んでいた光る物体はいくら目を擦って見つめても視界に現れてこない。あれは、いったいなんだったのだろう。
📍 19:00-20:00 夕食タイム
→ ウォーキング
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📍 22:00 The day is drawing to a close.
▶︎自維、「閣外連立」のリスク露呈 維新入閣固辞に首相「ありえへん」
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要約
高市早苗政権下で初の臨時国会が閉会した。2025年度補正予算は野党の協力を得て成立したものの、日本維新の会との「閣外連立」が抱える不安定さが浮き彫りになった。
維新は連立に加わりながらも閣僚ポストを拒否し、政策実行への責任の所在が曖昧となっている。特に連立合意に盛り込まれた国会議員定数削減法案は審議にすら至らず、首相は強い不満を示した。
閣僚を出さない協力関係は政権運営上のリスクとなり、今後も高市政権の足かせとなる可能性がある。
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✍️コメント
閣外連立という形は、責任を負わず影響力だけを持つ構図になりやすい。政策を前に進める覚悟があるなら、入閣して責任を明確にすべきである。一般に政治にとって最も有害なのは、責任の所在が曖昧な状態であろう。
▶︎陸自ヘリにレーザー照射 静岡上空で夜間飛行訓練中 けが人なし 機体の損傷なし
✍️コメント 昨日お昼の産経新聞のニュースだが、照射した相手に関する内容が一切ない。
▶︎年収の壁178万円に引き上げ 自民・国民が合意、中間層も対象に
[抜粋]自民党と国民民主党は18日、所得税の非課税枠「年収の壁」を178万円に引き上げると合意した。国民民主の意向を反映し、中間層も対象にする。与党が19日にまとめる2026年度の税制改正大綱に盛り込み、物価高対策の柱とする。
✍️コメント
年収の壁引き上げは、物価高が続く現状では「ようやく」という印象が拭えない。
それでも、長年放置されてきた制度に手を付けた点は評価できる。
高市早苗首相の下で合意に至ったことは事実だが、これは個人の力量というより、社会的要請に押された結果とも言える。
自民党がこの流れを一時的対応に終わらせず、どこまで本気で改革に向き合うのかが問われている。
▶︎ノリさん投稿
8時起き 部屋暖まらず 日射し射す
台風は 何処へ逝ったか 冬すすみ
信州の 便りはいつも 冬景色
寒空に やっとこさ着いて 温コーヒー
なかなかと パッとはでない 作句作り
元オウム真理教の幹部であり、現在は「ひかりの輪」の代表を務める上祐史浩(じょうゆう ふみひろ)氏の人物伝をまとめました。
彼は、高学歴エリートがなぜカルトに傾倒し、その後どのように組織と向き合ってきたのかを知る上で、非常に象徴的な人物です。
- 生い立ちとエリート街道
1962年、福岡県に生まれました。幼少期から成績優秀で、早稲田大学理工学部に進学。同大学院で人工知能(AI)を研究し、修士号を取得した後は宇宙開発事業団(NASDA、現JAXA)に就職するという、まさに絵に描いたようなエリートコースを歩んでいました。 - オウム真理教への入信と台頭
大学院在学中にヨガや瞑想への関心から、麻原彰晃が主宰する「オウム神仙の会(後のオウム真理教)」に入信します。
- 出家と抜擢: 1987年にNASDAをわずか1ヶ月で退職し、出家。その明晰な頭脳と弁論能力から、若くして教団の「外務部長」などの要職を歴任しました。
- ロシア支部のトップ: 1990年代にはロシアへ渡り、数万人規模の信者を獲得するなど、教団の海外進出を成功させました。
- 「ああ言えば上祐」
1995年の地下鉄サリン事件発生後、彼は教団の顔として連日メディアに登場します。
- 広報活動: 教団の関与を否定し、論理のすり替えや早口の反論で記者を圧倒する姿は、世間から「ああ言えば上祐」と揶揄されました。(📌 教団の関連については、彼がロシアへ布教に出かけていた時に発生した事件のため、故意に嘘をついていたわけでない、と記憶している。ただし、次項に記したように、公文書偽造の罪に問われ、服役している)。
- 逮捕と服役: 事件当時はロシアにいたため、重大事件への直接関与は免れましたが、過去の土地取得に絡む文書偽造(国土利用計画法違反)などで逮捕され、懲役3年の実刑判決を受けました。
- 教団の解体と「ひかりの輪」の設立
1999年に出所後、崩壊しかけていた教団(現:アレフ)に復帰し、一時期は代表格を務めます。しかし、麻原への絶対帰依を続ける勢力と対立。(📌 動画を視聴した限りにおいて、彼は責任を誰かに押し付けるような発言は一切感じられなかった。したがって、視聴後の不快感が全くない。とても優れた人格者と思える人だ。惜しい、と思うが現状において、おそらく十分に社会貢献しているようにも感じる。)
- 脱却と独立: 2007年、麻原への信仰を否定する形でアレフを脱退し、新団体「ひかりの輪」を設立しました。
- 現在の活動: 現在は「宗教」ではなく「仏教哲学の学習サークル」であるとし、麻原の毒素を抜く活動や、被害者賠償への協力を続けていると主張しています。
▶︎略歴まとめ◀︎
| 年代 | 主な出来事 |
| 1962 | 福岡県で誕生 📌 今、63歳|
| 1987 | 早稲田大学院卒業、NASDA入社後すぐ退職・出家 |
| 1992 | ロシアへ派遣、教団の拡大に貢献 |
| 1995 | 地下鉄サリン事件。帰国し広報として注目される |
| 1999 | 偽証罪などで服役後、出所 |
| 2007 | アレフを脱退、「ひかりの輪」を設立 |
| 現在 | 執筆や講演を通じ、カルトの危険性を説く |
[上祐氏の現在]
メディアやSNSを通じて「カルトからの脱却」をテーマに発信を続けている。かつての「ああ言えば上祐」というイメージから、今では「宗教社会学の生き証人」として評価する向きもある。しかし依然として「ひかりの輪」は公安調査庁の観察処分対象であり、世間の評価が二分されている状況に変わりはない。
📌 幼少期から将来を期待された人物が、結果としてこれほど重い困難を背負うことになった経緯を思うと、人の歩む道の不確かさを考えさせられる。
彼自身の回顧録に目を通す限り、問題から逃避しようとする姿勢は感じられず、仏法哲学を拠り所に克服しようとする意志が読み取れる。
私は若い頃の艶のある彼の声を知っているだけに、老いてしわがれた声を耳にし、時間の経過が否応なく迫ってきた。それは、最近自分自身が声を出しにくくなっている体験とも重なり、遠く過ぎ去った年月の重みを実感させられた。
人は過去の行為からも、老いからも自由にはなれないが、それとどう向き合うかだけは最後まで問われ続けるのだろう。

