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某YouTube番組で精神科医の対談動画を聴き流していた。音楽に切り替えて運動に出かけようとした瞬間、ふと耳に残る言葉に遭遇し、書き記しておきたくなった。
その医師は長年、精神科患者に向き合い、親身に相談に乗ってきた。しかしその経験から、「話を聞きすぎると、むしろ症状が悪化するのではないか」と感じるようになったという。外科医において、傷口を最小限に抑えるのが名医であるように、精神の奥深くへ過度に立ち入ることが必ずしも良い結果に繋がるとは限らない、と。
その言葉に、私は強い共感を覚えた。例えば、外部からホルモンを投与し続けると、生体本来の分泌機能が損なわれてしまう。生物はそれ自体で完結した生命体であり、外部から無理に矯正できるほど単純な構造ではないのだ。
また、その医師は学生時代に哲学書を読み漁ったが、今ではそれが「あまり役立っていない」と語っていた(無意識下では影響しているのかもしれないが)。これもまた、外界に解を求めすぎることへの警鐘に思える。
人生の長い道のりでは、神に縋(すが)りたくなるほどの困難もあるだろう。しかし、日頃から自らの心を耕すことを忘れては、すぐに路頭に迷ってしまう。外界に答えを求めすぎる危うさはここにある。
神は一人ひとりの心の中に宿っている。自分の心に深く耳を澄ますことこそが、神の意思、すなわち自分自身の進むべき道へと繋がるはずだ。(神の意思についてはすでに別のブログ記事にアップしてある。ただ、十分な説明はし尽くせない。神というより、神々という方がより近い考えなのである、が)。
話は変わるが、数十年前、知人の看護師が精神病棟で研修を受けた時の話を思い出した。彼女は患者たちと接して病棟を出る頃、「自分の頭がおかしくなった気がした」と漏らしていた。生身の人間には到底理解の及ばない生命の深淵に触れた、ひとつの証左のように思えてならない。尚、この話も、すでに書いた覚えがある。
▶︎健康記録 今朝の体調 70/100 深夜覚醒回数 3
▶︎食事療法とレシピ ‖
まともに食事療法を気にすると、その日の半分以上の時間が食事関係で終えてしまう。食事は人生の目的ではない。健康のためやむ得ない行動である。なるべく素早く終えて、本来の心に耳を澄まし、生きた証を持って彼岸に届けたい。
▶︎運動 ウォーキング>8000
▶︎高活 期末試験を楽しんで効果的に使う
簡単だと思うような内容でも、ゆっくりとレポートに目を通してみると、やり過ごそうとしている未知の領域に気づくことがある。
それを調べてみると、別の新しい知識に触れ、ワクワクした気持ちになる。
記憶は曖昧な形でしか残らないが、漠然とした全体像が「人間の顔」のように残る。それでよいのではないか。
八十歳のこれからは、名前を思い出せなくても、顔は忘れない。それでよしとしよう。
つまり、読んでいるときに理解できていればよいのだ。そのあとは忘却したとしても、期末試験で落第点にならなければよい。
たぶん、その程度で進級できそうな気がしている。
▶︎その他
(新しい目標)いつかやろう。これをどんどん減らしてゆこう。
