早朝は小雨だったが、次第に晴れ間が広がってきた。食事、洗濯など終えて外に出る頃は、もう猛暑を感じさせる。
📌 11:30- atドトール珈琲店
→ ThinkingTime
📌 12:30-13:30 リレー人物伝 二宮尊徳記事アップ
📌 13:30- 帰路ウォーキング
mm> スマホ端末代金分割支払通知 ¥3,355 ‖ ローン残高¥46,970- なかなか消えない💦 便利さに勝てない(*2)
📌 14:30- スマホを休眠にする。
[荷物べらし]ダンボール解体、整理整頓。作業中、汗が溢れてくる。汗をかかない体質と思っていたが、ロカボ食のせいか、これだけ汗をかけるというのは、体質の変化があるかもしれない。
📌 19:30- 夕食‖後の休憩。本日はこれにて店じまい。
- セブン&アイに買収提案 カナダ同業から社外取が精査、M&A文化に変化
- (元安倍派)小林鷹之氏、総裁選に出馬表明 来月27日投開票 / 小泉氏も意欲
- 米民主党大会が開幕へ ハリス氏「打倒トランプ」訴え
- 女性役員ゼロなお69社 (上場会社)プライムの4%
- 国債利払い、想定金利2.1% ‖ 財務省、来年度要求28.9兆円に増 ‖ 財務省は2025年度予算案の概算要求で、国債の利払い費の計算に使う想定金利を1.9%から2.1%にする方針だ。
- 最低賃金1000円超、地方波及 ‖ 北海道・茨城など8道県大台へ 地域間の格差縮小
- 野田元首相「衆院選勝つために熟慮」 / 代表選出馬巡り(*1) ‖ 立民・共産党首、野党連携を重視
- new ホタテ相場が急回復(値上がり) 中国禁輸1年 ‖ 豊洲の卸値、禁輸前水準に
- new 脱「ブラック霞が関」へ官僚なり手不足 / 中央官庁を支えるキャリア官僚のなり手不足が問題になっています。「ブラック霞が関」と呼ばれる給与体系や働き方が背景にあるといわれます。(図-1参照)
[図-1]国家公務員と民間上場企業の収入格差
✍️ EV一体成形というのは、すでに中国では半年いや、もっと前か、それほど前に聞いている。その中国の技術力に驚きを持ったものである。しかし、ここで、テスラもトヨタもその道を進めるという。いざそうなれば、先行両社のことだ、コスト面はともかく、技術では有利に進めることだろう。
11月5日の米大統領選を巡り、共和党のトランプ前大統領と民主党のハリス副大統領は9月10日テレビ討論会に臨む。1回目のテレビ討論会に参加したバイデン大統領は大統領選から撤退。ハリス氏がバイデン氏に替わって民主党の大統領候補となりました。トランプ氏は7月の銃撃事件でいったん支持を広げましたが、ハリス氏の登場によって大統領選は混戦となってきました。✍️ 私の直感では、ハリス氏に勢いがあると見る。個人的には大統領はトランプ氏、副大統領にハリス氏というあり得ないことを考えるが、それは真夏の夜の夢だ。
「緊急事態条項」と自衛隊の明記を憲法に急ぎ盛り込むべきだという意見が散見される。
憲法改正論も盛んになってきている。改正であれば問題ないが、解釈次第で改悪になりかねない。どうにでも考えられるような条文は気をつけなければならない。憲法として条文化するのだから、非常時における解釈に見落としがあってはならない。このTweetは、十分に咀嚼すべき主張であろう。一方で、言論の自由を抑圧するのはよくない。十分な議論を経ることが待たれる。
自民総裁候補に10名!これは自民の人気回復につながる。野党第1党も全く霞んでいる。そんな危機感である。政権交代可能な政治システムにしないと危機感のない政治が続いてしまう。もうでしゃばる世代ではないが、気がかりではある。
▼中小企業 中小企業基本法で定義づけられる。
製造業の場合は「資本金3億円以下または従業員300人以下」の企業を指す。
サービス業であれば「資本金5000万円以下または従業員100人以下」の企業が該当する。
5月に成立した改正産業競争力強化法で、政府は新たに従業員2000人以下で中小ではない企業を「中堅企業」と定め、重点支援の対象にしている。✍️ 下記グラフによれば、中小企業が4年間に渡り景況感はずっとマイナスである。したがって、さらにターゲットを広げて、より上位の企業を対象に支援するというのはどういう根拠に基づくのか理解できない。
2024年版の中小企業白書によると、中小企業は国内に336万5000社弱、企業総数の99.7%を占める。
従業者数は全体の69.7%に上る。
中小企業の動向は個人消費などを左右し、日本経済に広く影響する、というが….
中小企業を代表する経済団体のひとつが日本商工会議所(日商)となる。全国に500超ある商工会議所を束ね、経営環境の改善に向けた支援や政策提言を手がけている。日商の7月の調査による。
この図を見ると、2020年〜2024年度までの4年間、ずっと景気は下を向き続けていることになる。
熱中症になったそうです。かかったことはないですが、かかった人を介抱したことはあります。気をつけないといけないですね。mandara
夏休み 食事も次第に 遅くなり
冷やっこ 胡瓜に生姜に 茗荷のせ
台風の直撃に備え 食を買い
台風の チョット東に ずれるなり
台風の 雨雲途切れ 静かなり
台風や 知人の家は 暴風圏
台風の お陰でお出掛け 中止せり
台風が 寄せて来る間に 顔を出す
台風が メダル沢山 持ち帰る
夏バテは 休み終えても 休ませる
自らが 熱中症に なろうとは
熱中症 水飲みながら 倒れたり
★始めて熱中症になりました、自転車に乗ってなくて良かったです、乗っていたら大怪我でした。甘く見ていました、炎天下に出ていったもんですから。老人は、判断も誤ります。
お大事になさって下さい、熱中症、怖いです。
老いてなお 世を離れれば 風のまま
離れれば 風にまかせる 歳の旅
スマホは、高齢者でも必須になりつつある。
なにしろ、運転免許更新もスマホから全自動で申込み、という時代だ。相手(自治体事務方)は全自動で済むから省力化できる。しかし、高齢者で年金暮らしの立場の方々では高価なスマホは買えないし、操作もマスターするのが大変なはずだ。
手続きも高齢者には難しいのではないか、、、スマホの購入に助成金を交付し、操作の習得機会を提供すべきではないか(すでにそのようになっらているのかもしれないが)。
年金10万以下の人の話しも耳にすることがある。本当なら国民の生存権さえ実施されていないと危惧する。声をあげる人が必要だ。この程度の助成金など、国力から見たらなんの問題もないレベルである。政治資金規制法をかいくぐっている政治家なら、わかるだろう。
声を上げなければ問題は表面化しないし、制度も生まれない。権利は実行しないと消滅さえする。確か、、憲法は国民に権利を守るのも国民の普段の努力が必要だ、というような文面があったように思う。
要確認。
暑くて寝苦しい。眠れないと辛いが、では、なぜ寝ないといけないのか、これは科学的にはよくわかっていない。こんなに科学が進歩してもと思うかもしれないが、実はまだまだわからないことだらけなのだ。
生命科学はどの程度進んでいるのだろう。
生命活動のための筋肉を動かす機械部品はタンパク質でできていることはわかっている。ほんの小さな生命体でも、その実態は非常に複雑にできていて、現代科学では生命を作りだせていない。遺伝子を操作して生命体を加工するところまでは漕ぎ着けている。
しかし、生命そのものの実態がわかっていない。どこに精神が宿るのかは謎だ。ただし、哺乳類である我々の体の各機関を動かしている司令塔の場所はある程度わかっている。
最新脳科学で脳のどの部位がどのような時に活性化するか、などは色々な情報源を調べる限り、ある程度解明されてきている。しかし、解明されていない部分の方がずっと多いようだ。
朝食‖ 7:30-8:30 ‖ ロカボ食
昼食‖ 軽く / BaceBread1〜2 ‖ 442kcal +
夕食‖ 18:30-19:30-翌日の準備とロカボ食
ウォーキング 3400歩
ダンボール解体など 運動にはなるが、歩数はほぼ変わらない。
スクワット 今日は休み(週2〜3回) ‖ 筋肉痛有り
無し 敢えて遠ざかっているうちに遠くに流されている→ 川柳、俳句
▶︎先ほど、昨日持参した「花咲け出愛」スピーチ大会の冊子に目を通した。実体験談は小説などより関心がある。なにしろ、誰も経験したことのない生の体験を聞ける、読めるのだから、ところどころ、これだよ!っと膝を打ちたくなる言葉に出会う。しばらく他の記事に手間をかけずに、この4年分の冊子を読み終えるまで続けたい。
お札になった未掲載者リストから抜粋
二宮尊徳
(前書き)私が小学校4年生頃に福島県南会津郡只見町という山間の小学校へ転校した時、校庭に銅像があった。薪を背負って本を読む姿がそこにあった。現代社会から見ると、隔世の感がある。
今、私は歩きながらスマホで情報を漁っている。これは、情報化社会の犠牲者かもしれないと時々感じる。
(参考)彼の晩年になるが、1853年7月8日は、ペリーが艦隊を率いて初めて東京湾の入り口である浦賀沖に来航した日である。
2回目の来航は54年2月13日で、艦隊は現・横浜市金沢区の沖合に錨を下ろした。 横浜村で3月8日から日米交渉が始まり、3月31日に日米和親条約が結ばれた。2023/01/06</net>
—————————-
二宮尊徳(にのみや そんとく)
1787年9月4日 – 1856年11月17日 69歳没年
江戸時代後期の農政家、思想家、そして実践的な農業経営者であり、彼の功績は「報徳思想」として知られています。
幼少期と家族背景
二宮尊徳は現在の神奈川県小田原市に生まれました。生家は農家でしたが、比較的裕福で、彼もその家庭で育ちました。しかし、彼が16歳の時に父が亡くなり、その2年後には母も亡くなり、家は次第に困窮していきました。尊徳は弟妹を養うために、必死に働きながら勉学にも励みました。
青年期と改革活動の始まり
尊徳は家業を再建するため、農業に工夫を凝らし、荒地を開墾し、灌漑を進めて、次第に家計を立て直しました。彼の努力は次第に評価され、地域社会でもその能力が認められるようになりました。尊徳の実践は単なる農業技術にとどまらず、経済的、道徳的な側面にも及び、後に「報徳思想」として体系化されることになります。
報徳思想とその普及
尊徳はこれまでの人生経験と、独自の発想をもとに”報徳”の教えをつくりあげました。「大自然の恵みに感謝しながら、自分が信じたことを力いっぱい行うことが本当に豊かな社会を作り上げる」というこの教えは、全国600を超える貧しい群村の立て直しを成功させる重要な鍵となった。
晩年と死
晩年の尊徳は、主に関東地方を中心に活動し、特に下総国(しもうさのくに)の佐倉藩(現在の千葉県佐倉市)での農村復興事業が有名です。また、彼の教えは弟子たちによって広められ、後世に大きな影響を与えました。1856年に尊徳は69歳で亡くなりましたが、その思想と業績は長く受け継がれています。
後世への影響
二宮尊徳は、後に「二宮金次郎」としても知られ、学校の銅像などで親しまれるようになりました。彼の思想は、近代日本の農業政策や地域振興にも影響を与え、その功績は今でも評価されています。尊徳の生涯を通じて培われた報徳思想は、個人の勤勉さと社会貢献を両立させるという点で、現代にも通じる普遍的な価値を持っています。