240830(金)雨

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台風10号の進行スピードが遅くなったそうである。台風が上空で停止したのではたまったものではない。九州南部は大変である。しかし、気圧を見ると一時期925hPaだったが994hPaになっている。勢いが弱まってきた。雨台風に変わるのではあるまいか。

📍 7:00-8:00 朝食‖ ロカボ食、米飯100g、💊4種

→ 雨の中、ウォーキング出発

→→ “きなこ”は外を窺って、部屋へ戻った😸

📍 atドトール珈琲店​ ThinkingTime

昨夜から台風10号による雨が降り続いている。駅前のドトール珈琲店​から北を臨む

📌 11:30- 12:30- ずいひつ蘭で取り上げたテーマが重すぎて時間が足りなくなる。

専門研究者もいる。当然、時間がいくらあっても足りない。ここでは、かじってしまった以上、ある程度の現時点での専門家の考えを認識できれば良い、というところで落ち着かせよう。

📍 12:30- 集中力の関係で課題はリサーチ中中断。

📍 21:30 Feeling around …

📍 22:30 going to bed​ 就寝🛌

ニュース
  • 8月の景気判断上げ / 1年3ヶ月ぶり
  • 27日、ガザで国連のWPF(世界食料計画)車両銃撃 / 国連報道官は、発砲したのはイスラエル軍とみなした。死傷者は無し。
  • 台風10号四国本州縦断か
  • 米エヌビデア純利益最高、売上も大幅に増加 / 決算は好調でも、今後の成長で高い見通しが立たないため29日の日経平均株式は下げた。ゲーム部門の売上高は16%増
  • マスク氏VSブラジル、対立が激化 「独裁者」はどちらか?[= 日経電子版]
  • きらやか銀行、公的資金200億円の返済13年延期へ / 金融庁と調整
  • 出生数1〜6月、5.7%減の35万人 通年初の70万人割れも
日記補記

神代植物公園見学録をメール添付で送付

相撲のトトカルチョ資料が届いた。予想→返送 ‖ 済

→ いつも中位である。優勝は1回。参加してもう3年ぐらい経つ。オーナーが一年ほど食道癌で闘病生活なのが気になる。

ずいひつ

ADHD

新聞の記事の中で目についた英語の頭文字列である。

いつの頃か曖昧であるが、アスペルガー症候群だとか、ADHDという言葉が盛んに目につくようになった。その挙句は、私をADHDだ、とADHDであるとされる人間から指摘されたりした。いったい、それはなんだ?

それ以前、つまりADHDなる言葉が出現する少し前はASD(自閉症の一群)、さらにその前は自律神経失調症とか、あるいは統合失調症とかの言葉があり、それらを個人的に情報収集していた時がある。時代は10数年前、いやもう少し以前のことかも知れない。

もちろん、事情があって仕事の合間を縫って調べていたのである。当時はあまり知られていないことでもあり、情報も少なかった。また相談できる専門家がいることなども思いつかなかった時期である。

今では膨大な関係資料が本棚の闇に眠っている。振り返ることもない。というのは素人考えでは解決つかない問題だという結論に至ってしまったからである。それどころか、専門家さえよくわからないと言っても嘘にはならないだろう。究極は生命の本源に迫ることであり、精神世界のことは、ちょっとやそっと調べただけでは到底解明もできなければ対応策なども当然見つからない。わかるのは1人では解決つかない、ということだけである。そこで専門家に縋ることになる。

さて含みのある前置きはこの程度にして、何故ADHDなる情報が世の中に蔓延するようになったのか、である。昔はそんな病気はなかった。あったのかも知れないが、医学の進歩で生まれてきた病気という類のものだろう。最近では、大人の発達障害という言葉もしきりに目につく。[思いつきで取り上げた本記事は膨張しそうなので、一旦中断]♨️

→ リサーチの継続の意図

結論として書きたいことの中には不確定要素があり、曖昧な情報もある。それを書きながらリサーチして現段階で私的な仮の結論を得ておきたい、ということである。いずれ、もっと自分の考えをはっきりさせようと思う。いずれにも時限がある…。

  • 医学の進歩は新しい病気を創出している
  • その度に新薬が開発される
  • ADHDの薬を開発した医師は、ADHDは病気ではない、とし薬害を懸念しながら没している(再確認要する)
  • 薬害は別として、処方箋としての対応策は救いである
  • 薬害は現在の医療システム上、やむ得ない面がある。医療サービスを受ける側の(公でない)知恵が必要だ。
  • 我々生物一般は継続的な進化の途中にあり、自然神の実験材料となっている
  • 故に、基本的に自然をもっと大きな力として捉えよう

猫との共同生活満1年を振り返る

パソコンを操作し始めると、そろりやってきてテーブルに飛び乗り、あたり構わずゴロンと横になる。相手の状況とかお構いなしだ。この我が道をゆく、相手の思惑は関係ない、という性格は大変面白い。

人間とはずいぶん性質が違うものだ。

猫の世界と人間の住む世界の違いなのだから、口で言っても理解しない。理解できない相手に文句言っても、始まらない。猫は意のまま行動しているだけだ。その仕草が実にかわいい。だからペットなのだ。心が通じていると思って油断すると平気でいまだに噛みついてきたりもする。痛い。昔はネズミよけで価値もあったのかもしれないが、現代ではそれもない。人間が世話をするだけなので、可愛いだけの存在だ。

ひとつ困るのは旅に出かけるときだ。あとは、そのうちに健康問題が出てくることもあるのではないか。今のところそれが全くない。餌を用意し、身の回りの世話を少しするだけだ。犬に比べると手がかからないし、割と綺麗好きでもあるからほぼほったらかしだ。外から帰ってくると、足の裏や、爪を広げて舐めっていたりする。よく病気にならないものだと感心する。不思議な行動もいろいろあるが、解明はされていないようだ。例えば、尻尾をふる。なんのために尻尾を振るのか。犬なら様子である程度感じるものがあるが、猫は相手におもねることなどないのである。したがってなんのために無意識的に尾を振るのか、今のところ未解明。検索で調べても、なんか違うな、とか矛盾する内容が多い。240830。

まだ爪を切ることはしたことがない。何か、鋭い爪で引っ掻かれそうな気がするからだ。今のところ、爪を研ぐ資材をAmazonで購入して片隅においてあるだけだ。時々、自分で爪を研いでいる。次の課題は、私の手で爪を切ってあげることだ…

人生100年時代に挑戦/健康維持の行動記録
食事

📍 朝食‖ ロカボ食[繊維質とビタミン類意識]、シャケ1切れ、胸肉4コロ、枝豆10鞘、💊4種

📍 昼食‖BaceBread2個。440kcal間食可…

📍 夕食‖ロカボ食、米食100g、果物プラム

📍 間食‖味噌汁 ‖ 豆腐半丁、モヤシ一掴み ‖ 枝豆10鞘、トマト大1/4、胡桃3片、薬ビタミンB12

運動

▶︎ウォーキング

午前 駅周辺まで往復 4000歩

▶︎筋トレ 無し

体調

体重 54

夕寝 1時間程度

📍 23:10 間食、眠くない(夕寝のためか)

備忘録

無し

リレー人物伝(人を辿り歴史を知る)

西郷隆盛→西郷従道→大隈重信…板垣退助

大隈重信 おおくましげのぶ

1838年3月11日 – 1922年1月10日 享年85

政治家&教育者

明治時代から大正時代にかけて日本の近代化に多大な貢献を果たし、特に内閣総理大臣として、また、早稲田大学の創設者として知られています。

### 大隈重信の主な業績

1. **内閣総理大臣**

– 大隈は2度にわたり日本の内閣総理大臣を務めました(第8代内閣総理大臣として1898年、第17代として1914年から1916年)。彼のリーダーシップの下で、彼は内政および外交政策において多くの重要な改革を行いました。

2. **早稲田大学の創設**

– 大隈は1882年に東京専門学校(後の早稲田大学)を設立しました。この学校は、彼の教育への情熱と、国民の教育水準の向上を図るための強い意志を反映しています。早稲田大学は、その後、日本を代表する私立大学として発展し、多くの優秀な人材を輩出しています。

3. **政治改革と憲政運動**

– 彼は立憲政治の確立を目指して「憲政党*1」を結成し、国会開設と自由民権運動を推進しました。これにより、議会制民主主義の確立に寄与しました。

4. **外務大臣としての活躍**

– 大隈は、外務大臣として条約改正交渉を行い、いくつかの不平等条約の改正に成功しました。また、彼は日本の国際的地位を向上させるための外交政策を展開しました。

### 人脈

大隈重信は、その政治的キャリアと教育者としての活動を通じて、さまざまな影響力のある人物と深い関係を築きました。

– **伊藤博文**:

大隈と伊藤は共に明治時代の初期から活躍したが、政治的立場や政策においてしばしば対立することもありました。それにもかかわらず、彼らは日本の近代化に向けて共に働きました。

– **板垣退助**:

自由民権運動のリーダーであった板垣退助とは、立憲政治の確立を目指す仲間として、しばしば協力関係にありました。

– **福沢諭吉**:

教育の分野においても、大隈と福沢は相互に尊敬し合う関係にありました。大隈の早稲田大学設立は、福沢の慶應義塾設立と並び、日本における私学の発展に貢献しました。

– **渋沢栄一**:

経済界のリーダーであり、「日本資本主義の父」として知られる渋沢栄一とも深い関係がありました。大隈と渋沢は共に日本の産業と教育の発展を支えました。

[注記 *1]憲政党とは、1898年(明治31) 6月,板垣退助の自由党と大隈重信の進歩党が合同して結成した政党。日本最初の政党内閣を組織したが、同年10月両派の対立により内閣は瓦解し、旧自由党系の新憲政党と旧進歩党系の憲政本党に分裂した。

1898年(明治31)憲政党分裂後、旧自由党系が組織した政党。1900年解党して立憲政友会に合流。

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