▶︎日経新聞サブスク解約 〜2/15まで。
【メモ】Googleが全世界の報道を閲覧できるアプリを予定していると聞いた。
大往生したけりゃ医療と関わるな / 「自然死」のすすめ
著者 中村仁一(享年81) 初版日時 / 2012/1/30 ‖ 幻冬社新書213ページ ‖ 著者略歴:1940年生、京大医学部卒、社会福祉法人老人ホーム「同和園」付属診療所所長、医師。本メモ期間 ‖ 250206〜
[読書方針]共感部の切抜きを主とす
▶︎正解は不明。内容は否定も肯定もしないニュートラルな立場として記す。
- 本人に治せないものを、他人である医者に治せるわけがない
- ⬆️病気やケガを治す力の中心をなすものは「本人の自然治癒力」です。
- ワクチンを打ってもインフルエンザにはかかるし他人にもうつす⇒受験生に予防のために打っておこうと勧めるのは笑止…(受験に備えるなら早めに天然ものにかかっておくこと…)
- (コロナ)ワクチンの接種は意味がないと思いながらも、世間の少数派のせいもあり、私(著者)自身は立場上、老人ホームに移ってからは!毎年接種し続けてきました…しかし厚労省が「打ってもかかる」と認めたので、大手を振って辞める方にしました。
- このシーズン中、インフルエンザで死んだ人が204人。対し予防接種で死んだ人が133人もいます(日本医師会雑誌2019年12月号)。✍️何やらマスコミの報道とは異なる感じがする。細かいデータが記述されているが、すでに下火になったことなのでワクチン談義は読書から外す。〜38ページ。
- 解熱剤で熱を下げると、治りは遅れる ✍️熱は生体反応であり、意味があることは知られていることかと思う。その100万年にも及ぶ自然の仕組みを壊そうという…矛盾が生まれるのも頷ける。しかし一般に皆んな!熱があれば解熱剤という常識が行き渡っていないだろうか。
- 📍 45ページまで、つい深追いしてしまった。
タイトル 「死を見つめる心/ガンとたたかった十年間」 ‖ 著者/岸本英夫 ‖ 講談社 ‖1973/3/15初版
著者略歴 ‖ 1903年6月27日 – 1964年1月25日 60歳で直接的には脳腫瘍で死去(小生18歳、倉敷市在住時)
東京大学教授や東京大学附属図書館長を務めた。兵庫県明石市出身で、父は宗教学者の岸本能武太。東京帝国大学文学部宗教学科を卒業後、ハーバード大学大学院で宗教心理学を学び、M.A.を取得。帰国後、東京帝国大学で講師、助教授、教授を歴任し、宗教学の研究と教育に尽力した。尚、GHQの宗教行政にも関わった。
▶︎250203[第1回]
死は、健康な人間にとって通常は意識されるものではない。したがって、普段の生活において問題として取り上げられることも少ない。では、どのような時に死が問題となるのか。それは、「生きたい」という人間の生存欲が脅かされる瞬間である。健康な時、健康を意識することはない。同様に、生きている時、死は意識から離れている。
本書では、著者が真に死に直面した際の混乱した心境と、それを克服しようとする過程が綴られている。確かに、誰もが死は生き物の宿命であることを理解しており、自らもいずれその運命を迎えることを知っている。しかし、いくら考えたところで、死が切迫しない限り、それはあくまで他人事にすぎない。死の恐怖は本能的な生存欲と結びついているが、健康な間はその欲求が表面化することはない。まるで、空腹を感じなければ食欲が湧かないのと同じである。
さて、岸本氏が癌を患い、その後の10年間をどのように仕事に没頭して過ごしたのかは、大まかに記憶に残っている。この本が出版されたのは、私が27歳で、間もなく28歳を迎えようとしていた頃であり、当時はざっと読み流したに過ぎなかった。しかし、それでも「真剣に生きた経験の持ち主」として心の片隅に残っていたため、本書を今も思い出すことができるのである。
続く
▶︎250204 【第2回】26〜27頁
「黒い死の影」
ここでは、7年前に「黒色腫(こくしょくしゅ ‖ 医学用語ではメラノーマ )」という悪性進行癌が見つかって以来の経過について述べられている。以来、20数回にわたる手術を繰り返している時点での記録である。
著者は、「手術のたびに全身から血の気がさぁっと引いてゆく思いにとらわれる」と述べている。つまり、死を見つめ続けても克服には至っていないということになる。7年が経過しても、である。本能と考えれば、意志の力ではどうにもならないと思える。眠るなと言われても眠ってしまうし、心臓は自らの意志とは関係なく鼓動を続ける。それが生命というものであり、避けようのない事実である。
著者は冒頭の略歴に示すように宗教学者である。その彼は、宗教の教えについては表も裏も知っているつもりだという。しかし、死後の世界については、どう考えても、どれだけ考え尽くしても「ある」とは信じられず、信じることができれば、どれほど楽になれることか、と。
同感である。死を目前にしても、著者にとっては別の世界があるとは到底信じられず、疑念を抱くよりほかにないというが、よくわかる。
もし肉体を離れた霊魂の存在を信じることができないのであれば、死とは無に等しいものとなる。この点が最も引っかかる、と述べている。そして自分が無になってしまうということに対しては、嘗ては「身の毛がよだつほど」の恐ろしさを感じた、と述懐している。私は体験していないので正直よくわからない。
ただ、私は今、少しだけ違った漠然とした観点で無について考えている。それは、非可逆的な時間の中で「生命活動の変異点」の存在があり、そこを分け入って通過することではないか、と想像している。説明しきれない思いがあるので深入りできない。
さて彼が語るように、過去というからには、それ以後はどうなるのか、次回以降に述べられるのだろう。
ここまできて著者は、二つのことがはっきりしたという。
第一に、人間は「無」というものを考えることができない。生きて生活しているという事実だけしか無い、と。✍️考えているのは生きている自分なのだから当然でもあろう。無というのは何も無いことである。物質に満ちている世界がこの世であり、あの世は物質のない世界なのか。無とは本当にいったいなんなのか?
第二については、この章には無い。次の「死の恐怖に勝つ道」で述べられているのか。
本章はここで終わっているので、今日の読書メモもここまでとする。
続く
▶︎250206 【第3回】28頁〜.
「死の恐怖に勝つ道」
彼は死後の世界はないのだと心に決めた。当てにならぬことは当てにしないと決めた。あるとしても、どうせわからないのだから、悪い方に決めた、ということである。近年、私もそのような考えに傾いていた。ひょっとしてあるかもしれないと思わないこともないが、それを言い始めると、いくらでも妄想できてしまう。いくらでも現実逃避できてしまう。それは、逃げ道を仮想した敗北ではないか。
それ以後、彼はただがむしゃらに働いた。癌という刺激のおかげで、生活態度に一本筋が通ったようなものであるという。私は今のところ癌の宣告は受けていない。しかし、動機は異なっても、歩いている道はそんなには違わない。だからこそ、真剣に読み進める気がするのである。
こうした日常を送っていた著者が、「ふとした機会に、『死』という考え方の目が開けたのである」と述べ、いよいよ本旨に迫る。
それは、日本女子大学の創立者である成瀬仁蔵先生のエピソードからヒントを得た、という。
成瀬仁蔵先生は肝臓癌にかかり、医者はそれを隠していたが、本人はすでに知っていた。いよいよ死が近づいたという頃、先生は椅子にかけたまま病院から女子大の講堂へ運ばれ、全学の学生の前で告別講演を行った。その講演は、大変な感激を聴衆に与えたという。✍️アップルの創業者スティーブ・ジョブスの講演録を思わせる…
一年ほど前のある日(読者にはいつのことわからない)、彼は女子大の成瀬先生記念会で講演を依頼され、準備のために先生の書かれたものを読んだ。そのとき、彼はふと、「別れのとき」ということに気がついたのであった。
死とは、人間にとって、大きな、全体的な「別れ」なのではないか。そう考えたとき、彼は初めて、死に対する考え方がわかったような気がした。
ここまでが、この章の内容である。「死の恐怖に勝つ道」を発見した(ような気になった)、ということのようである。なんとなくはわかる。効いたのである。そして、おそらく不安が消えたのであろう。が、なんだろうという興味を持たせた割には平凡な解ではないか。尤も死は人の誕生とともに平凡な出来事の中に含まれている、と言えないことはない。
この感覚は経験的に本人にしかわからないものだと思う。「薬(言葉)が効いた」という感覚である。私も人生においてある疑問をずっと抱いていたのだが、ある時、ある人の言葉(書籍)からその感覚が得られた。その時を境に長年の謎、問いかけ、そこに至るまでの苦しい問題が溶けて心の安定感につながった記憶がある。しかし、その直接的な動機が何であったかは忘れてしまった。が、それは問題ではない。心の病が治癒した後には、忘れてしまうものだ。囚われの身が解放されたという解放感こそが、心身の健康の本質なのかもしれない。
私は、「別れ」という問題についてもここニ三年試行錯誤しながら考え続けてきた。それ(現界)を完全には断ち切れないまま、今も実践過程にある。しかし新たな出会いもある。ただ、それらは以前のような現世の生存競争の場とは違い利害関係を伴わないものである。それは、天国に近い、いわゆる彼岸に近い場かもしれない。違うステージに立っている心境である。
さて横道にそれ、読書は遅々として進まないが、おそらくどこかで猛烈なスピードで遅い分を取り返して進むだろうと予想している。次の章は「死への心の準備」である。
続く
▶︎2502xx 【第4回】頁〜.
「死への心の準備」
▶︎2025/2/6
秩父嶺(ちちぶね)や霞に青く春の昼
秩父嶺の 青く霞みて 浮き立てば
春の光に 時はゆるるる
秩父の山々、遠く青く霞んでる
晴れ渡る春の昼下がり
光は柔らかく大気を包み
山々は浮き立つように青く佇む
風もなく時も止み
ただ青々と澄み渡る空
どこまでも遠くへと誘う
どこまでも
どこまでも
▶︎2025/2/5 ノリさん投稿
久々に 古人の書を 手習いす
▶︎2025/2/2 ノリさん投稿
足早に 時がドンドン 進み行く
赤鼻は ティシュを替えて 治りたり
この病 治癒の兆しが みえ隠れ
老人は 体温までも 低くなり
鬼さんも 福さんも 一日早く降りてきた
▶︎2025/2/1
星見えず 寂しく暮れた 春の宵
▶︎2025/1/31 mandara
ついにゆく 今ぞ行くとは いうばかり 我が命こそ 解りにくけれ
里の山 今日も暮れゆく冬の夕
▶︎2025/1/27
春風に 笑顔弾ませ 園児行く mandara
▶︎2025/1/26 Mandara
‖ 冬空に天高く舞うトンビ ‖
青空が果てしなく広がる
高みを翔けるトンビ
凍てつく風に身を預け
輪を描き舞い遊ぶ
空に翔く目に映る
山郷はどれほど広がっているのだろう
彼は風の声を聞き、地球の息吹を感じているのだ
我もこの風を掴み大空へ舞い上がり
山々の彼方まで見渡してみたい。
♬🎶
青空や 風に遊ぶ鳶 地を見つゝ
▶︎2025/1/25
寒修行 穏やかな日々 ホッとする(ノリさん)
九千歩 歩いて二件 仕事せり
(ノリさん)
大寒の 玉子いただき かけご飯
(ノリさん)
土手沿いに 茫然と立つ ススキかな
冬陽に風が 野辺に彷徨う mandara
★これまでの投稿分は、日記250122
▶︎4コマ漫画 我らのyoko.M作
伊藤若冲の異常さがわかる😸

⭕️食事 ロカボ食実践中
8:00-起床‖ 朝抜きウォーキング開始
間食‖ atセブンイレブン ‖ ☕️+🍗
朝食兼昼食‖ 〜12:00 食後ウォーキングへ
⭕️運動 ウォーキング1万歩⇒?
我が養生訓250116 編集
- 良いものより悪いものを摂らない。
- 禁酒→米‖ 癌の原因 ‖←禁酒
- ストレスは解消して明日へ残さないことが健康の条件。
- 食事は食べる順序を守る。一食当たり糖質は40g。間食で10g。
- 食後30分以内のウォーキング。血糖値スパイクは防止可能。
- 筋トレ ‖ 週2回⇒★専門家に相談
- ランニング 週1回⇒遊歩道発見
- 転倒しない場所で全力疾走∨水泳
- 糖質制限 ‖ 米は100gで糖質35g、一食あたり糖質は40g限度、間食合計10g、基本、空腹は脂質やタンパク質で満たすこと。後から食べてしまえば効果なしになるため。
- タンパク質はアミノ酸からなるので、肉食で無くても健康的な生活は可能である。250203分析参照。
ロカボ食の糖質制限
ロカボの基本的な糖質摂取ガイドラインは以下の通りです。
📌 1食あたりの糖質量:20~40g
📌 間食1回あたりの糖質量:10g以下
📌 1日の総糖質量の目安:70~130g
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