日記250211(火)晴 建国記念の日

ずいひつ 自分史

📍 12:10-帰路ウォーキング​中、晴れ渡る空に強風である。思い浮かぶのは、春嵐の吹きすさぶ日本海である。15歳〜17歳くらいに数人乗りの底曳船舶で漁業を生業としていた頃の荒れた海だ。肩をすぼめ綱を巻き上げていた頃の記憶である。確かにそういう時期があったのだ。

当時と今を比べてどうなのだろうか?意味がないので比べても仕方ないが、少なくとも船乗りしていたら今よりは無知のままだろう。船の中で新聞も雑誌も読んでる人はいない。周りもみんな無知な人が多いので気にしないで過ごしているはずだ。無知だから不幸かと言えばそんなことはない。むしろ幸せかもしれないのだ。日常楽しいこともある。知識がないだけに余計な悩みは少ない。当時の人たちを思い出すと懐かしい。それは知識ではない。今よりも、無知が当たり前の生活の中に見出せる。

もっとも、社会が変わっているので、今も当時と同じやり方ではないかもしれないし、職業そのものが衰退していることは想像に難くない。第一次産業に就く人は私たちの頃と比べて激減しているに違いない。今時、漁師になる人もほとんどいないだろうと思う。仕事自体もそれなりの進化を遂げていて、機械化も進んでいるかもしれない。考えても仕方ないが、ついでに連想して、一度は郷里の土を踏んでおきたいと思いながら歩いている。

読書録 死を見つめる心 〜70/226頁

タイトル 「死を見つめる心/ガンとたたかった十年間」 ‖ 著者/岸本英夫 ‖ 講談社 ‖1973/3/15初版

著者略歴 ‖ 1903年6月27日 – 1964年1月25日 60歳、脳腫瘍で死去(小生18歳、倉敷市在住時)

東京大学教授や東京大学附属図書館長を務めた。兵庫県明石市出身で、父は宗教学者の岸本能武太。東京帝国大学文学部宗教学科を卒業後、ハーバード大学大学院で宗教心理学を学び、M.A.を取得。帰国後、東京帝国大学で講師、助教授、教授を歴任し、宗教学の研究と教育に尽力した。尚、GHQの宗教行政にも関わった。

目次

第1章 死に出会う心構え
1.1 我が生死感
1.2 別れの時
1.3 私の心の宗教(本日の考察)

第2章 癌とのたたかい(2/11〜)
2.1 アメリカで癌とたたかう
2.2 癌の再発とたたかいつつ
2.3 命ある限りゆたかに

第3章 現代人の生死感
3.1 生死感四態
3.2 死
3.3 現代人の生死感
3.4 人間と宗教

その他
あとがき     高木きよ子
父の死生観    岸本雄二
主人の思い出   岸本三世
文庫刊行によせて 同上

以上のような構成になっている。本書を読む動機は、私自身の考えと照らし合わせ思考を深めるためである。したがって、意義を感じない部分は飛ばし読みすることになり、どこかで納得のゆく自分なりの解が得られるか、あるいは、それ以上読み進めても得られるものがないと判断すれば、本稿はそこで終了することになる。

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第7回 第2章 癌との戦い

2025/2/11(火)晴

建国記念の日

死の苦しみについて記されている。死刑を宣告され、死を待つばかりの死刑囚の心境と同じではないかと綴る。著者は、死刑を宣告された直後から死ぬまでの間続くというが、死は生まれた瞬間から確定しており、ただ宣告されていないだけである。我々は「知らぬが仏」として生きているに過ぎない。知らないことが幸せであるというのも、決して嘘ではない。では、知ることに何の意味があるのか。いくら考えても死後の世界を知ることができないのであれば、それは単なる「ないものねだり」だ。今朝は、そんな気がした。
 
癌が発見され、死が身近に迫ったとき、人はどのような心境になるのか。現在、平均寿命に近づいてきた自分にとって、それは極めて興味深い問題である。しかし、健康であれば、とりあえず死を考えずに生きていける。結局、生きるということは、死を意識せずに日々を過ごしているだけであり、それ以外において死刑囚と何ら変わりはないのではないか。

健康に自信のあるときには無神論者だった者が、健康を失うと同時に有神論者となる。「困った時の神頼み」である。日常的に信仰心を持たない人でも、困難に直面すれば神仏にすがる。そのような心理を表す言葉として、多くの人が思い当たる節があるのではないだろうか。

本を読み進める中で、記憶に残っていた一文に出会った。それは、「死に臨んで最も心の支えとなり慰めになったことは、『自分の死後、自分を思い出してくれる人たちがいる(だろう)』ということである」という言葉だ。

そうすると、生きている間にいかに他者の心の中で生き続けるかが、死を迎える際の支えとなるのだろう。この考えは、しばしば想起してきたものである。私はその後も繰り返し考えた。しかし、それはより広く解釈すれば、「歴史に名を残すことこそが生きがい、つまり死に対する最も強い免疫ではないか」という思いに至った。しかし、これはあくまで過去の思索の仮定であり、今は微妙に異なる。

日本の歴史をたどれば、聖徳太子から徳川幕府が崩れるまで、さらには近代国家の発展に貢献した歴史上の人々が思い浮かぶ。しかし、歴史は必ずしも正しく伝えられているとは限らない。戦国時代には多くの殺戮が行われたにもかかわらず、現代ではそれが美化されることに疑問を抱く。一方で、釈迦のように王子でありながら出家し無一文で人々を救い、長きにわたり感謝と生きがいを与え続けた宗教家もいる。しかし、それも後世の人々が神格化して伝えている側面がある。本当かどうかは分からないが、少なくとも一人の行為によるものではないことは推測できる。

そうしたことを考えるうちに、私は「神仏と思うべきは遠い存在ではなく、身近にいるのではないか」と思うようになった。つまり、生きている目の前の人こそが、自分にとっての神仏である、と。これを演繹的に掘り下げれば、無数の論点が出てくるが、ここでは深入りしない。結論として、私は「身近な人から学び続けることこそが、生の本質である」と考えている。

話が横道にそれた。本の内容に戻る。

もう一つ、彼の心の支えとなったのは、自らが続けてきた仕事である。彼は、自分の学問[仕事]を「個人のものではなく、同じ道を歩む多くの研究者との協同の成果である」と考えていた。そこには心を通わせる仲間が存在し、その中で自分という存在が生き続ける。

つまり、「自分を思い起こしてくれる人々」と、「自分の仕事を受け継ぐ同志たち」がいることで、彼は死を乗り越える力を得たのである。彼はあの世を信じるのではなく、知性によって死を超えようとし、そのことに誇りを持ったという。

長くなったのでここまでとする。私には、まだ明日がある。

第2章(左傾部全切開)へ続く。

読書録2 「自然死」のすすめ 

第一回目

第二回目 未定

大往生したけりゃ医療と関わるな / 「自然死」のすすめ

著者 中村仁一 初版日時 / 2012/1/30 ‖ 幻冬社新書213ページ ‖ 著者略歴:1940年生、2021年6月5日逝去(81)京大医学部卒、社会福祉法人老人ホーム「同和園」付属診療所所長、医師。本メモ期間 ‖ 250206〜

[読書方針]共感部の切抜きを主とす

▶︎読書方針 ‖ 否定も肯定もなくニュートラルな立場として記す。

  • 本人に治せないものを、他人である医者に治せるわけがない ‖ 病気やケガを治す力の中心をなすものは「本人の自然治癒力」です。
  • ワクチンを打ってもインフルエンザにはかかるし他人にもうつす⇒受験生に予防のために打っておこうと勧めるのは笑止…(受験に備えるなら早めに天然ものにかかっておくこと…
  • (コロナ)ワクチンの接種は意味がないと思いながらも、世間の少数派のせいもあり、私(著者)自身は立場上、老人ホームに移ってからは!毎年接種し続けてきました…しかし厚労省が「打ってもかかる」と認めたので、大手を振って辞める方にしました。
  • このシーズン中、インフルエンザで死んだ人が204人。対し予防接種で死んだ人が133人もいます(日本医師会雑誌2019年12月号)。✍️何やらマスコミの報道とは異なる感じがする。細かいデータが記述されているが、すでに下火になったことなのでワクチン談義は読書から外す。〜38ページ。
  • 解熱剤で熱を下げると、治りは遅れる ✍️熱は生体反応であり、意味があることは知られていることかと思う。その100万年にも及ぶ自然の仕組みを壊そうという…矛盾が生まれるのも頷ける。しかし一般に皆んな!熱があれば解熱剤という常識が行き渡っていないだろうか。
  • 📍 45ページまで、つい深追いしてしまった。

第二回目 未定

備忘録 toDo p-d-s

d>250211-保証人署名のPDF送付 ‖ 済

p>250212 ‖ 15:30-飯能⇔豊洲

人生100年時代に挑戦

日常的な改善点

食後30分以内の運動 250211

これを確実に実践するには一回あたりの散歩時間を短くしないといけない。帰ってきてすぐ次の食事時間になるのでは、すぐまた出なくてはいけない。

最後は夕食の後に不足分の歩数をプラスできるようにすれば良さそうだ。それも寝る前の2時間前には終えたい。翌日に差し障る。

▶︎デスクワークをしていると、すぐに目がボケてくる。ふと思いついて目を大きく開け、スマホで目を撮影してみた。が、特に異常はなさそうだ。流石に若者のようなパリッとした目ではなく、少し周囲に白く薄い膜がある。白内障がゼロではないが、まだ心配はないと医師が言っていたが、これでもそうなのか、と思うしかない。長くは書物など見なくて済ますしかない。松本清張なんかは分厚い牛乳瓶の底のようなメガネで小説を書き続けていたという。それに比べれば、メガネを新調すればまだまだ使える目かもしれない。

⭕️食事 毎日の記録

深夜副食 ナッツ10粒

▶︎朝 ‖ 7:30-8:30-ロカボ食[味噌汁 ‖ モヤシ、ワカメ、ネギ]、納豆、マヨ、バナナ糖質5g、ご飯省略し、コンビニでななチキ+☕️で済ます。★ここ二、三日食事が面倒になってつい粗食になり、体重減少した。★痩せすぎなので、明日の定期精密検査のデータを見て今後の食事方針を改定する。

▶︎昼食‖ ロカボ食[タンパク質含む具沢山味噌汁]→玄米120g[糖質42g]、八朔1/4[糖質 ≒ 5g]Σ(糖質)⇒ 47g

▶︎夕食‖ 糖質控える(明日精密検査) ‖ 18:00-19:00 ‖ 食物繊維(温キャベツ、きゅうり刻み、豆腐一口、ごま塩とマヨネーズ)、ワカメ、豆腐、卵の味噌汁→鳥唐揚げ🍗3片〜4片、鶏胸肉2口、ご飯50g程度。薬2種。

⭕️運動

→ ウォーキング ‖ 12000⇒12000歩

⭕️精神活動

..,→ blog読書録記載、リモート書類作成[PDF化]メール添付、Googleアドセンスリサーチetc

⭕️我養生訓

  • 良いものより悪いものを摂らない。
  • 禁酒→米国発‖ アルコールは少量でも良くない ‖ 癌の原因
  • ストレスは解消して明日へ残さない。全ての病気はストレスが関与。
  • 食事は食べる順序を守る。ロカボ食参照。
  • 食後30分以内のウォーキング。血糖値スパイクの防止。効果確認 ‖ 済
  • 筋トレ ‖ 週2回⇒★専門家に相談
  • ランニング 週1回⇒遊歩道発見
  • ロカボ食実践 ‖ 脳には糖質が必須であり、その不足は認知症リスクが大きいと主張する雑誌記事あり。
  • タンパク質はアミノ酸からなるので、肉食で無くても健康的な生活は可能である。250203分析参照。

ロカボ食の糖質制限

⚠️脳のエネルギー源は糖質である。それとどうバランス取るのか❓

ロカボ食の基本的な糖質摂取ガイドラインは以下の通り。

📌 1食あたりの糖質量:20~40g、参考書では40gである。

→ 玄米100gあたり35g、白米は37g ‖ 糖質総量から見て、ご飯は80g程度にして不足ならタンパク質やナッツ、バナナ1/4などの果物で補填する。
📌 間食1回あたりの糖質量:10g以下
📌 1日の総糖質量の目安:70~130g

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