日記250214(金)晴-3〜14℃

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北風10m 前に進めず 恐怖心
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おめでとう 5才迎えて 先遥か
(お孫さん誕生日おめでとうございます。)

通り道 古本屋さんが閉じました
(時代の流れですね)

この寒さ 知人二人が 逝きたもう

我が友は 八十になっても スキーヤーズ
【メモ】 toDo

p>250211-保証人署名のPDF送付 ‖ 済

p>250214 ‖ 猫の暖房用タイマーAmazonで注文 ‖ 注文済

p>250214 ‖ AIプライベートシステム構築案

p>250215 ‖ ハーモニカなど楽器ライクなもの持参、寄せ書き、同窓会の是非

p>250216 ‖ 9:00-大中高へ願書提出

読書録1 死を見つめる心 岸本英夫著

タイトル 「死を見つめる心/ガンとたたかった十年間」 ‖ 著者/岸本英夫 ‖ 講談社 ‖1973/3/15初版

著者略歴 ‖ 1903年6月27日 – 1964年1月25日 60歳、脳腫瘍で死去(小生18歳、倉敷市在住時)

東京大学教授や東京大学附属図書館長を務めた。兵庫県明石市出身で、父は宗教学者の岸本能武太。東京帝国大学文学部宗教学科を卒業後、ハーバード大学大学院で宗教心理学を学び、M.A.を取得。帰国後、東京帝国大学で講師、助教授、教授を歴任し、宗教学の研究と教育に尽力した。尚、GHQの宗教行政にも関わった。

目次

第1章 死に出会う心構え
1.1 我が生死感
1.2 別れの時
1.3 私の心の宗教(本日の考察)

第2章 癌とのたたかい(2/11〜)
2.1 アメリカで癌とたたかう
2.2 癌の再発とたたかいつつ
2.3 命ある限りゆたかに

📌 第3章 現代人の生死感
3.1 生死感四態
3.2 死
3.3 現代人の生死感
3.4 人間と宗教

その他
あとがき     高木きよ子
父の死生観    岸本雄二
主人の思い出   岸本三世
文庫刊行によせて 同上

以上のような構成になっている。本書を読む動機は、私自身の考えと照らし合わせ思考を深めるためである。したがって、意義を感じない部分は飛ばし読みすることになり、どこかで納得のゆく自分なりの解が得られるか、あるいは、それ以上読み進めても得られるものがないと判断すれば、本稿はそこで終了することになる。

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第7回 第2章 癌との戦い

2025/2/11(火)晴 建国記念の日

この章では癌を宣告された死の苦しみについて記されている。それは死刑を宣告され、死を待つばかりの死刑囚の心境と同じではないかと綴る。その苦しみは死刑を宣告された直後から死ぬまでの間続くという。しかしながら、死は生まれた瞬間から確定しており、ただ宣告されていないだけである。時間が長いだけで事実は変わらない、我々は「知らぬが仏」として今を生きているに過ぎない。仮の宿のようなものだ。知らなければその不安は生じない。知らないことが幸せであるというのも、決して嘘ではない。では、知ることに何の意味があるのか。いくら考えても死後の世界を知ることができないのであれば、知らない方がよいのではないか、今朝は、そんな気がした。
 
癌が発見され、死が身近に迫ったとき、人はどのような心境になるのか。現在、平均寿命に近づいてきた自分にとって、それは極めて興味深いが深刻な問題でもある。しかし、健康であれば、とりあえず死を考えずに生きていける。結局、生きるということは、死を意識せずに日々を過ごしているだけであり、それ以外において死刑囚と何ら変わりはないのではない。

健康に自信のあるときには無神論者だった者が、健康を失うと同時に有神論者となる。「困った時の神頼み」である。日常的に信仰心を持たない人でも、困難に直面すれば神仏にすがる。そのような心理を表す言葉として、多くの人が思い当たる節があるのではないだろうか。

本を読み進める中で、記憶に残っていた一文に出会った。それは、「死に臨んで最も心の支えとなり慰めになったことは、『自分の死後、自分を思い出してくれる人たちがいる(だろう)』ということである」という言葉だ。

そうすると、生きている間にいかに他者の心の中で生き続けるかが、死を迎える際の心の支えとなるのだろう。この考えは、しばしば想起してきたものである。私はその後も繰り返し考えた。しかし、それは拡大解釈すれば、「歴史に名を残すことが生きがい、つまり死に対する最も強い免疫ではないか」という思いに至った。しかし、これはあくまで過去の思索の仮定であり、年齢を重ねた今は微妙に異なる。

日本の歴史をたどれば、聖徳太子から徳川幕府が崩れるまで、さらには近代国家の発展に貢献した歴史上の人々が思い浮かぶ。しかし、歴史は必ずしも正しく伝えられているとは限らない。戦国時代には多くの殺戮が行われたにもかかわらず、現代ではそれが美化されることに疑問を抱く。一方で、釈迦のように王子でありながら出家し無一文で人々を救い、長きにわたり感謝と生きがいを与え続けた宗教家もいる。しかし、それも後世の人々が神格化して伝えている側面がある。本当かどうかは分からないが、少なくとも釈迦一人だけの知恵によるものではない歴史を通じた集合知と言えるのではないか、と考えている。

そうしたことを考えるうちに、私は「神仏と思うべきは遠い存在ではなく、身近にいるのではないか」と思うようになった。つまり、生きている目の前の人こそが、自分にとっての神仏である、と。これを演繹的に掘り下げれば、無数の論点が出てくるが、ここでは深入りしない。そかに至る筋道は省き、結論として、私は「身近な人の中に神を見出し学び続けることが、生きることであり生の本質である」と考えている。

十分うまくは表現できていない。話が横道にそれた。本の内容に戻る。

もう一つ、彼の心の支えとなったのは、自らが続けてきた仕事である。彼は、自分の学問[仕事]を「個人のものではなく、同じ道を歩む多くの研究者との協同の成果である」と考えていた。そこには心を通わせる仲間が存在し、その中で自分という存在が生き続ける。

つまり、「自分を思い起こしてくれる人々」と、「自分の仕事を受け継ぐ同志たち」がいることで、彼は死を乗り越える力を得たのである。彼はあの世を信じるのではなく、知性によって死を超えようとし、そのことに誇りを持ったという。

長くなったのでここまでとする。私には、まだ明日がある。

第8回

第2章 左傾部全切開 250212

この章では極めて悪性の癌だと宣告を受けた後の経緯が述べられている。非常に悪性の進行癌と言われながら、再発するたびに手術を繰り返してゆけば長生きできる運の良い稀な癌だということがわかる。当初アメリカで発見された時は半年程度しか命の保証ができない癌だと告げられていたのであったが、その診断に延命できるという新しい診断が加わった。

ここで彼は一時的に気が緩んだ。死ななくて済む、という安堵感から、それまでは患部が気になりしきりに手鏡使って調べていたのが、それを忘れるようになっていった。

それから二、三週間経った頃に久しぶりに会った知人が岸本氏を見て「血色がたいへんよくて、すっかりご健康のようですね」といわれた。そのようなことが、偶然とは言えないほど、何回か続いた。どれほどの精神的安堵感が生じたか想像がつく。

✍️手術しながら長生きできると聞いてから、彼は死を忘れがちになった。その結果、血色が良くなったという。これは精神面が体調に大きく影響することを物語っているようだ。昭和38年2月20日付の朝日新聞に掲載された。小生がこの頃、東京の五反野か岡山県倉敷市のどちらかに住んでいた。

次回は第9回 最終章へ続く。

第3章「現代人の生死観」

250213(木)

最終章とはいえ、本書の半分以上の頁を割いていることから、ここでは著者が癌に罹患し、闘病しながら考えたエッセンスが語られているに違いない。宗教学者としての学術的な知識を交えつつ、人生における唯一の謎ともいえる「死を見つめる」ことが、本書の核心なのだろう。

感想文が長くなるか短くなるかは、今のところ不明である。およそ頂点に近づくと、知識の量は到底及ばないものの、思考の過程が類似しているため、登ってみた先に見える景色は大きく変わらないように思える。そう考えると、あまり時間をかける必要はなさそうであり、結論もなるべく簡潔に記録することになりそうだ。

14:00- 生と死の問題は他人事ではない。自分1人の問題として、この先を生きてゆく上で必ず解かなければならないように思える。しかし、それ自体は解き明かすことのできない永遠の謎であることも真なりである。複雑極まりない。

宗教学者が実際に死に直面した後の精神生活の変遷には強く惹かれたが、学問としての生死観には興味が湧かない。これまでに考え尽くしてきた内容の繰り返しになるからである。

私としては、「生と死」を学問として究明するつもりはない。生きている今をより良くすることにのみ注力したい。なぜなら、残された時間が確実に短くなってきたからである。

したがって、これ以降は共感した部分に絞ってリストアップすることにとどめる。迷った時に、それが参考になることもあるだろう。

続く

📍 250214(金)晴

第3章で私が得る結論はほぼ明確である。それは、「死を忘れず、そこを起点として何かに打ち込める自分を持つことこそが幸福であり、人生の目的である」ということである。では、その「打ち込める自分」をどこに見出すのか。これは各人各様の答えを持つことになる。

私自身がかつて導き出した答えは、「自分を忘れることができる対象を持つこと」だった。その過程では、愛する人にすべてを捧げることも含まれていた。しかし、この点については、相手の存在が前提となるため、人を対象とすることは必ずしも確実な方法とは言えない。

結論を先取りすると、「嫌なことはしない」という選択肢もまた、一つの答えであった。ただし、実際にそれが可能なのかという問題も考えた。その結果、「完全なものが存在しないのと同じように、完全な回避も不可能である」という結論に至った。仕事をする上で、嫌なことが全くないという状況はありえない。しかし、目標があれば、目の前の嫌なことや困難は必ずしも苦痛とはならない。避けることのできない壁ならば、それを乗り越えること自体が生きがいにつながる。

さまざまな派生的な思考過程を述べたが、これらは当然、著者自身も経た思考の流れである。

読み進めながら、思い浮かんだことを記して本日は終える。あとで傍線を引いた箇所を抜き出し残そうと思う。まだ1/3くらいは未読であるが、内容はほぼ推し量ることができる。

明日へ続く

すこし読み進めた結果、専門家に対する敬意が足りなかったと頭をよぎった。現代の宗教についての深い洞察が書かれていた。ただし、その内容は癌に罹患したことによる差し迫ったものではなく、私の本書を読む目的からは逸脱していた。いくらか内容を追加し、新たな興味を残しつつ、次回で締めくくることになると思う。

用語解説

3.1 生死観四態とは

生死観四態とは、人々の生と死に対する考え方を大きく四つのタイプに分類した哲学や心理学、宗教学などの分野で議論されるテーマであり、特に日本では心理学者や宗教学者が提唱する概念として知られています。

✍️学問的な分類である。学問とした瞬間に生死の問題から隔離される気がしないでもない。最後のコメントにもあるように絶対的な分類ではないが、生死を考える上で役立つ、という。

生死観四態の分類

1. 生肯定・死否定型

・生きることを積極的に肯定し、死を恐れたり避けようとする考え方。

・例:現世での成功や幸福を重視し、死をできるだけ遠ざけようとする。

2. 生否定・死肯定型

・生きることに価値を見出せず、死を安らぎや解放と考えるタイプ。

・例:苦しみの多い人生からの解放として死を受け入れる宗教的思想。

3. 生肯定・死肯定型

・生も死も自然なものとして受け入れ、どちらにも価値を見出す考え方。

・例:「生きることも大事だが、死もまた避けるべきものではない」とする東洋思想的な視点。

ここは、最近連想で創作した短歌でニュアンスが伝えられる。今の立ち位置である。

ついにゆく 今ぞ行くとは いうばかり 我が命こそ  解りにくけれ

4. 生否定・死否定型

・生きることにも死ぬことにも否定的で、どちらにも満足できない状態。

・例:人生に絶望しながらも死を恐れる葛藤を抱える状況。

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この四態は、人それぞれの価値観や人生経験、宗教的背景などによって変化することがあり、絶対的な分類ではありません。しかし、自分や他者の生死観を理解する手がかりとして役立つ考え方です。

読書録2 「自然死」のすすめ 課題

日記250213へ置き去り。

人生100年時代に挑戦

250214(金)

▶︎健康日記

生活習慣を改めてから数年が経過した。最初の頃は知識が乏しく、非効率的な方法であったが、ここ半年ほどは食事と運動に加え、ストレスを溜めない工夫を重ねてきた。その結果、昨日の定期検診では、諸データが健康の範囲に入り始めた。ただし、現在は薬を服用しており、その効果による可能性も考えられる。

次の目標は、薬や医者に頼らない生活を実現することだ。これは人体実験でもある。食事と運動を組み合わせ、自然に即した生活習慣を続けることで、健康を維持できることはほぼ証明された。ただし、一度失った細胞の中には完全には再生しないものもあり、傷跡も完全に消えるわけではない。すべてが元通りになるわけではないことを念頭に置く必要がある。

⭕️食事

▶︎朝 ‖ロカボ食意識。軽く済ました。

間食‖ atセブンイレブンで☕️とななチキ

▶︎昼食‖13:00-13:45 ‖ キャベツ、ほうれん草、マヨ、シャケほぐし、ごま塩、大豆煮10粒、サバ缶1/4、玄米100g(糖質35g)、バナナ20g(糖質4g ‖ 100gのバナナ一本あたり21g)→ 糖質39+g

▶︎夕食‖ロカボ食、玄米100g(糖質35g)バナナ40g(糖質5g〜7g)

⭕️運動

▶︎ウォーキング ‖ 10,000歩 → 7000

▶︎筋トレ

筋肉痛中❗️

→ストレッチ

→スクワット

→擬似デッドリフト

→ベンチプレス

⭕️仕事 無し

⭕️趣味 無し

一口メモ

【質問】人類の食物が通過する出入り口の距離はいかほどか?

【回答】およそ7〜9メートル。10メートル弱。その間の通り道でどんな化学変化が起きているのだろう?

▶︎我養生訓

  • 良いものより悪いものを摂らない。
  • 禁酒→米国発‖ アルコールは少量でも良くない ‖ 癌の原因
  • ストレスは引きずらないこと。なぜなら全ての病気はストレスが起因。
  • 食事は食べる順序を守る。ロカボ食参照。
  • 食後30分以内のウォーキング。血糖値スパイクの防止。効果確認 ‖ 済
  • 筋トレ ‖ 週2回⇒★専門家に相談
  • ランニング 週1回⇒遊歩道発見
  • ロカボ食実践 ‖ 脳には糖質が必須であり、その不足は認知症リスクが大きいと主張する雑誌記事あり。
  • タンパク質はアミノ酸からなるので、肉食で無くても健康的な生活は可能である。250203分析参照。

ロカボ食の糖質制限

⚠️脳のエネルギー源は糖質である。それとどうバランス取るのか❓

ロカボ食の基本的な糖質摂取ガイドラインは以下の通り。

📌 1食あたりの糖質量:20~40g、参考書では40gである。

→ 玄米100gあたり35g、白米は37g ‖ 糖質総量から見て、ご飯は80g程度にして不足ならタンパク質やナッツ、バナナ1/4などの果物で補填する。
📌 間食1回あたりの糖質量:10g以下
📌 1日の総糖質量の目安:70~130g

ひと休み

[AIに笑い話を作らせてみた]→ 1秒❗️

医者と患者の会話

患者:「先生、私の病気は治るでしょうか?」
医者:「うーん、正直に言うと…運次第ですね。」
患者:「そんな! 先生、もっと希望が持てることを言ってください!」
医者:「いいでしょう。あなた、宝くじは買いますか?」
患者:「はい、時々…」
医者:「当たったことは?」
患者:「ないですね。」
医者:「そうですか。でも、病気が治る確率のほうがずっと高いですよ!」

AI活用考 250214

<ChatGPT-4o>

【質問】ChatGPTを使って自分用のデーターベースを作りそれを曖昧検索して引き出せるようにできませんか?

【回答】はい、ChatGPTを使って自分用のデータベースを作成し、曖昧検索(部分一致や類似検索)で情報を引き出すことは可能です。以下の方法を提案します。

<長文につき省略>

</ChatGPT-4o>

結論 ‖ この個人システムの構築には相応に集中して汗をかかないとできないことがわかった。やる価値は大いにある。特に、物忘れや、ポカの多い私にはぴったりだ。その後にどれだけ楽になるかわからない。これまで、ものぐさを補填するために速記やITはさんざん利用してきたが、さらに理想的なプライベートアプリであるAIの個人用データーベースを構築し、その記憶をランダムに読み書き、検索できるシステムを構築すれば画期的だ。これで記憶の苦労は激減すること間違いなしである。


それには現在抱えている当面の急ぐ諸問題を片付ける必要がある。迷いが1番効率を妨げる要因である。250214。

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