米国の大型減税法案の行方

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米国の大型減税法案(*1)は日本にやってくるか?

かつて日本の文化やトレンドは「アメリカより10年遅れている」と言われたものだ。

近年ではその差は縮まり、「5年遅れ」とも語られるようになった。

実際、米国で流行した商品やサービスが数年遅れて日本に入り、成功を収める事例は数多い。

では、文化や流行と同じように──財政政策もアメリカの後を追えば良いのだろうか。

近年の米国の大規模減税法案や財政赤字拡大の動きは、日本にどのような示唆を与えるのか。

本稿では、その影響と可能性を考えてみたい。


米国の大型減税法案──その構造と理念

2025年5月、アメリカ合衆国下院は「One Big Beautiful Bill Act(OBBBA)」と呼ばれる大規模な税制改革法案を可決した。これは2017年のトランプ政権下で導入された「減税・雇用法(TCJA)」の延長線上に位置づけられるものであり、個人所得税や法人税、相続税など多岐にわたる減税措置が盛り込まれている。

注目すべきは、これが単なる減税政策にとどまらず、いわば国家の経済運営における「積極財政」の強い意思表示である点である。チップや残業代の非課税化に至っては、労働インセンティブの強化とポピュリズム的支持獲得の両面を狙ったものとも読み取れる。

その減税は誰のためか──格差拡大の危険性

しかし、この政策の恩恵は均等ではない。議会予算局(CBO)の試算によれば、減税の大半は年収上位層に集中する見通しである。具体的には、年収トップ0.1%の層には年間でおよそ29万ドルの減税効果が見込まれる一方、低所得層では逆に増税となる世帯すらある。

これが意味するのは、所得格差のさらなる拡大であり、トリクルダウン(富の滴り落ち)理論の限界が再び問われているということである。

財政赤字の膨張とその無視

さらに重要なのは、この大規模減税によって連邦財政赤字が10年で3.3兆ドル以上拡大するという予測である。かつてなら財政規律の観点から慎重論が支配的であったが、現在のアメリカ政治では「財政赤字は問題ではない」とする論調が主流化している。

背景には、通貨発行権を持つ国家は債務超過にならないという、いわゆるMMT(現代貨幣理論)に近い発想の浸透があると考えられる。つまり、アメリカではもはや「支出をどう賄うか」ではなく、「どのように成長に投資するか」に関心が移っているのだ。

日本は後を追うべきか?

では、日本はこの流れを追うべきなのだろうか。結論から言えば、「そのまま模倣するのは危険」である。当然、日本の特殊事情を配慮した体制が必要なのはいうまでもない。

第一に、日本は長年にわたり「財政健全化(PB黒字化)」を至上命題としてきたため、大規模減税や積極財政への転換には政治的・世論的ハードルが高い。第二に、日本では米国ほど富裕層の資産構成が投資主導ではなく、金融所得課税の強化などの政策が先行する傾向にある。

ただし、アメリカの政策転換が国際的なルール変更を促す「潮目」であることは間違いない。日本が独自の文脈で「人への投資」「気候・福祉・教育インフラ」などに財政を向ける覚悟を持てば、減税政策も単なる真似事ではなく、有効な経済戦略となりうる。

終わりに──文化の遅れ、財政の選択

文化や商品が5年遅れて届くのは、それが生活の一部としてゆっくり浸透するからである。だが、財政政策は遅れて真似すれば良いというものではない。

日本には日本なりの制度、経済構造、そして国民感情がある。だが、今ほど世界が財政政策の柔軟性と規模を問い直している時代もない。

そして、すでに別テーマで述べているように、財政健全化という名のもとに行ってきた財政緊縮策の流れはそう易々急に止められないという事情もある。それが間違っていても、社会的な慣性が物理的に働くのである。国民の合意形成に至るまで、日本はまだ相当な期間が必要であると考えられるが、それが5年で済むのかどうか――

アメリカの減税政策は、その極端な例として、日本に一つの問いを投げかけているように思える。

「それでも、財政健全化という神話を最優先にすべきだと思うのか」と。


解説

米国大型減税法案

(*1)米国の大型減税法案の概要

2025年5月、米国下院はドナルド・トランプ大統領が推進する包括的な税制改革法案「One Big Beautiful Bill Act(OBBBA)」を僅差で可決しました(215対214票)。この法案は、2017年の「減税・雇用法(TCJA)」の主要条項の恒久化を含む大規模な減税措置を盛り込んでいます。現在、上院での審議が進行中であり、法案の内容や影響について注目が集まっています。

🧾 主な減税措置の概要

個人所得税の恒久的減税
• 2017年のTCJAで導入された個人所得税率の引き下げを恒久化。
• 標準控除額を引き上げ(例:2026年以降、独身者で$16,550、夫婦合算で$33,100) 。
• 個人免除(personal exemption)の廃止を恒久化。

子ども税額控除(CTC)の拡充
• CTCを2025~2028年まで一時的に$2,500に増額し、その後$2,000に戻す。
• 控除額はインフレに応じて調整される。
• 控除を受けるためには、親・配偶者・子ども全員の社会保障番号(SSN)が必要 。

チップ・残業代の非課税化
• チップ収入と残業代に対する所得税を免除。
• 「No Tax on Tips Act」として、2025年5月に上院で全会一致で可決 。

パススルー事業所得控除の拡大
• パススルー事業所得に対する20%の控除を23%に拡大し、恒久化。
• 高所得者向けの制限を緩和 。

相続税の免除額引き上げ

相続税の免除額を2026年以降、独身者で$15百万、夫婦で$30百万に引き上げ 。

州・地方税控除(SALT)の上限引き上げ

SALT控除の上限を$10,000から$40,000に引き上げ(年収$500,000未満の納税者が対象) 。

💸 財政への影響と懸念

  • 議会予算局(CBO)は、この法案により今後10年間で連邦債務が約$3.3兆増加すると試算 。
  • 国民1人あたりの負担額は約$38,500と推定 。
  • 特に富裕層への減税効果が大きく、年収上位0.1%の納税者は平均で$290,000の減税となる一方、年収$20,000未満の納税者は増税となる可能性がある 。

🏛️ 上院での審議と今後の見通し

上院では、以下の点について修正が検討されています。

  • 2022年のインフレ抑制法(IRA)で導入されたグリーンエネルギー税控除の一部復活
  • メディケイド(Medicaid)予算の削減に対する懸念。、SALT控除上限のさらなる引き上げ要求。
  • 上院での審議は7月または8月までに完了する見込みです 。

🧭 まとめ

「One Big Beautiful Bill Act」は、トランプ政権の経済政策の中心的な位置を占める法案であり、特に富裕層や企業への減税措置が目立ちます。一方で、社会保障費の削減や財政赤字の拡大など、低所得者層への影響や長期的な財政健全性に対する懸念も指摘されています。今後の上院での審議と修正内容に注目が集まります。