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ほとんど起きているような寝ているような夜を過ごして起き上がる。今日も関東の冬晴れのようだ。
ウォーキング開始→atセブンイレブン∟ ThinkingTime
100文は1画に如かず




11:45-12:00 64段石段を登る。

我が山小屋の庭先に辿り着いた。スミレ科パンジーの仲間「ビオラ」。人面草なので賑やかである。植えてから3ヶ月くらいたった。
📍 12:00
▷Jump to the next work stage.
13:30-ウォーキング2回目開始、買物
▷💤昼寝 1時間位。
→ 隣の家の人から餅2個と「お雑煮」をいただいた。お雑煮をたべながら、餅を別に2個いただいたので、餅をお湯で温めていたら忘れてしまい、すっかり溶けてしまったのであった💦
17:30-19:30 夕食タイム。ワインから始まる。
▷♨️
📍 23:00- The day is drawing to a close.
【メモ】
▶︎ベネズエラ急襲、反米国家に衝撃 無力のロシア製防空システム
【要約】
米国がベネズエラで実施したマドゥロ大統領拘束作戦は、ロシア製防空システムの無力さを露呈させ、反米国家に大きな衝撃を与えた。ロシアや中国の支援があっても米軍の圧倒的軍事力には対抗できない現実が明確になった。一方、作戦成功に自信を深めたトランプ氏が、今後も予測不能な軍事介入を拡大するリスクが指摘される。専制国家が抑止力として核武装を志向する流れが強まる懸念もある。
✍️ コメント
軍事的「見せしめ」は短期的な威嚇効果を持つが、長期的には核拡散を誘発しかねない。力の誇示が秩序を安定させるのか、むしろ不安定化させるのか、冷静な検証が必要である。
▶︎ノリさん投稿
正月の 気分冷めずに 初仕事
新春に 孫らの姿 待ち受けに
晴れの日が 続き洗濯 松の内
洗濯物 北風にあおられ 日もサンサン
▶︎高活記

コンビニで公共の教科書を読んでいた。
試験勉強としてではなく、記憶を意図せずに読むと、教科書は驚くほど味わい深い。
国連が何を目的に活動しているのかなど、これまで真剣に考えたこともなかったが、自分が生まれ、社会人として生きてきた年月の間に、世界は確実に進化してきたのだと気づかされる。
なぜ、こうした社会全体にもっと関心を持たなかったのか。
自分の専門領域で生き残ることだけに終始してきた過去を思うと、いくらでも別の道はあったはずだと思えてくる。
振り返れば、もっと勉強しておくべきだったという思いは、年を重ねるほど強くなる。
今から新しい実学で稼ごうとするのは、少し的外れなのかもしれない。
それならば、仏道のような道を歩む方が、自分らしい生き方にも思える。
しかし、生きている以上、世の中に何らかの影響を与えたいという本能は消えない。
誰に言われるでもなく、心の赴くままに、つい行動してしまうのである。
そうだ、「芸術家になれ」。
この内なる声に、いまは素直に従ってみよう。
2026/1/6想起
前の記事に「高活(高校の学習活動)」の記録を掲載した。それを思い出しながらウォーキングに出かけたのだが、ふと気づいた。これはあくまで彼岸が見えてきた者の回顧に過ぎない。これからを生きる若者に役立つ情報でも、勧めるべき内容でもないのだ。私のような生き方を若者が参考にするのは、危ういとさえ思う。
したがって、登り坂を歩む者に安易に参照されては困るのだが、ありのままを記した「秘密の記事」として残しておこう。それをどう解釈するかは読み手の自由であり、私は責任を負わない。少なくとも、私が若かったら今のような真理探究の仏道などは選ばないだろう。選ぶとしても、その動機は全く異なるはずだ。
あとがき。
この3年で、人の思考と老後の学びはどう変わったか
ChatGPTが出現して3年を少し超えた。最近はGoogleのGeminiもよく使うようになったが、この3年を振り返ってみよう。
結論から言えば、学びは「蓄積」から「対話」へと質的転換を遂げた。
かつての学びは、本を読み、知識を覚え、頭の中に貯め込む営みであった。
しかしChatGPTの出現以降、学びは「問いを立て、対話し、考えを深める」方向へと移行した。
老後の学びにおいて、この変化は決定的(革新的)である。
記憶力の低下は避けがたいが、問いを発する力や経験に裏打ちされた判断力は衰えにくい。
AIは記憶の代替装置となり、人は思考の舵取りに専念できるようになった。
つまり、老いは不利ではなくなったのである。
若者はスピードと吸収力で優位に立つ。
一方、高齢者は経験・文脈理解・価値判断で強みを発揮できる。
AIはその差を埋める道具ではなく、むしろ「経験を言語化する増幅器」として機能する。
学びの主役は、知識ではなく〈問い〉である。問いを経てその先の思考を深める――。
正解を覚える学習はAIに委ねられる。
人間に残されたのは、「何を問うか」「なぜそれを問うのか」という根源的な能力である。
これは年齢とともに成熟する力であり、老活世代にこそ適している。
ブログや日記の価値も変わった。
情報を集めて並べるだけの記事は、AIが瞬時に生成できる。
しかし、人生経験と感情を伴った思索、迷い、逡巡の記録は、人間にしか書けない。
AIは編集者であり、壁打ち相手であり、思考を照らす鏡である。
この3年は、人間の役割を逆照射した3年であった。
特に最近は「覚える」から「考える」人に変貌してきた。
知識を持つ人から、意味を問う人へ。
老後は、まさにその役割転換に最も適した時期なのである。
こうしてみると、老活とは、衰えへの抵抗のみの闘老ではなくなる。
ChatGPTの出現は、その転換を可能にした歴史的な出来事であった。
ChatGPTの登場から今まで
- 公開日:2022年11月30日
- 現在:2026年1月
3年と少し(約3年1か月)が経過しています。私はこの発表直後から試用し始めました。
もともとChatGPTは、OpenAI社が対話型AIの実験として公開したもので、当初は研究・試験的な位置づけでした。しかし、この3年間で教育、研究、ビジネス、創作、そしてブログを立ち上げた私自身の「老活」や、それに伴う思索・文章活動の支援まで、用途が急速に広がってきました。かつては文章を書くのが非常に億劫でしたが、あらすじを元に壁打ち(編集)をすれば記事作成に手間がかかることも、誤字脱字を探す手間もなくなり手軽に記事が完成します。そのため、著作権も気にせずそれほど労せずに独自に記事をアップできるようになりました。

