戦争の時代に生まれた哲学 ― サルトルの実存主義(第10回)

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→ 12:00- 西武線乗車。「カメラのキタムラ」へ三脚を求めて遠出。藤沢市へ向かう。

→ 入間駅前 間違って反対方向に進んでいるバスに乗っている! ⚠️Googleマップのおすすめも、よく確かめないとダメだ。入間野田モールまでゆくことにした。1日の予定大幅変更。

→ 13:00 終点。ショッピングモールではあるが、車文化の広い空間である。しかし入間市の郊外にある小さな商店街である。帰りのバス停を探すと、ほとんどバスは走っていない。どうやって帰るかは後回しだ。とりあえず昼食と思い近くを歩いてラーメン屋に入ろうとした。が、入り口に貼紙がしてある。なんとなく寂れている。みると「債権者各位」とある。ここは無言にて立ち去る。残るはファミマ。ここはやっているようだ。仕方なく、ここで立ち昼食だ。

▷西武バス停 / 下郷バス停→14:09‖仏子‖電車→飯能

→ 14:30 着 帰路ウォーキング​[15分]

todolist]中古PC立ち上げると暗証番号入力を求められる。これをどうするのか?素人に渡すまでにやるべきことは?プロのショップでやることだ汗。あとはPC一体型大型ディスプレイを使えるようにする。これは電源コードがないところからスタートだ。もう一台のDELLモニタのリサーチ。覚えても無駄に時間を消費することになる。

。→ 検査用にゲーブル類2種Amazonへ注文

→ 19:10〜21:00 駅ビルまで。猫の餌、他の食材買出し。雨降り。

→ 22:00 The day is drawing to a close.


サルトルを学ぼう [010]

戦争の時代に生まれた哲学 ― サルトルの実存主義(第10回)

サルトルの実存哲学は、第二次世界大戦という激動の時代の中で形づくられていった。

当時のヨーロッパでは、戦争や占領によって人々の日常が大きく揺らいでいた。国家や社会の価値観が崩れ、何を信じて生きればよいのか分からない状況が広がっていた。その中でサルトルは、「人間は自分の選択によって自分を作る存在である」と訴えたのである。

外の世界がどれほど混乱していても、人間は自分の行動を選ぶことができる。むしろ極限の状況においてこそ、人間の自由と責任はよりはっきりと現れる。

我が人生を振り返っても、大小さまざまな「時代の波」があった。社会の状況は変えられなくとも、その中でどう生きるかを選び続けてきたのは、やはり自分自身であった。

選択とは、同時に他の可能性を手放すことである。人生とは、可能性を一つずつ閉じながら進んでいく過程とも言えるだろう。

「あの時こうしていれば」という思いは誰にでもある。しかし現実の人生は、常に一つの道しか選べない。だからこそ、その時々の決断がその人の人生を形づくっていくのである。

実存主義とは、その取り返しのつかない選択の連続の中にある人間の姿を見つめる哲学なのである。

2026/4/15 11:25 飯能駅前にて記す

本稿の作成手順 / 原稿→ChatGPT5へ校正依頼→再考、再編集、独自経験を加味改訂→誤字脱字などないかChatGPT5へ校正依頼→再度吟味投稿 ‖ 済。

昔なら校正一文字あたりx円で外注を使うところである。それだけ、自分の書いた内容を読み返すのは苦痛な作業である。それでも誤字脱字は避けられなかった。AIの活用でそのことで負担を感じることはゼロとなった。これがブログの長続きの結果である。こうしてみると人類の情報共有は著しく進んでいることを感じる。また、同時にブログのコンテンツの価値は下がり続けることを意味する。