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【シリーズ第3回】

政府支出の“限界”とは?──インフレと信用のコントロール
「政府は自国通貨を発行できるのだから、理論上いくらでも支出できる」──
MMT(現代貨幣理論)を理解しはじめると、こんな疑問が浮かんできます。
では、通貨をどこまで発行しても大丈夫なのか?
「限界」はないのか?限界があることは、直感ではわかっても、新しい考え方なので具体的にどうするのか疑問が湧いてくるのもしかたありません。
今回はこの重要な問いに向き合いながら、「政府支出の限界」を整理していきます。
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限度が「ない」のではなく、「制御の仕方」が問われる
MMTは、「政府の支出には財源の制約はない」とは言いますが、当然のことながら、無制限な支出を推奨しているわけではありません。
あくまで、「税金や国債発行に縛られる必要はない」という点を強調しているのであって、
- インフレになればブレーキを踏む
- 信用を損なえば信認を回復させる工夫が必要
というマクロ経済の管理能力が問われることになります。
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通貨発行の限界は「物理的」ではなく「実質的」
政府支出の限界は、紙幣の印刷枚数や、日銀のデジタル操作の能力ではありません。問題となるのは次の2点です。
- 供給能力(モノやサービスの生産力)
- 需要とのバランス(購買力の集中)
需要に対して供給が足りなければ、当然、物価は上がります。ここに生産力が深く関係してきます。
つまり、インフレが“限界のサイン”になるのです。
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インフレは“制御不能”ではない
インフレというと、よく「ハイパーインフレ」や「戦後の物価暴騰」などが引き合いに出されます。しかし、現代のようなデジタル通貨管理や独立した中央銀行の存在を前提とすれば、インフレは予防・制御できるのです。
コントロール手段としては
- 税による需要吸収(増税)
- 公共支出の縮小
- 金利操作による資金需要の抑制
- 貿易の活性化による供給拡大
など、柔軟に対応することが可能です。
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「信用」が支出を可能にしている
政府の支出は、「税金があるからできる」のではなく、通貨と政府そのものへの“信用”があるから可能なのです。
この信用を守るためには
- 説明責任のある財政運営
- 政治的な透明性
- 社会的な合意(前回記事参照)
が不可欠です。
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「何に使うか」が常に問われる
通貨発行に限度があるとすれば、それは数字上の制約ではなく、「信頼を失うかどうか」という人々の意識によって決まるのです。
つまり、「政府が何にお金を使うのか」が信用の土台になります。
- 公共性の高い目的か?
- 国民の多数が納得しているか?
- 格差の是正や将来世代への責任を果たしているか?
この問いへの誠実な対応が、政府支出の持続可能性を左右します。
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まとめ:支出の“限界”は手の中にある
MMTの観点からすれば、政府支出の限界は「お金が足りない」ではなく、「インフレや信用の管理ができるかどうか」です。
通貨発行は魔法ではありませんが、使い方を誤らなければ、社会を豊かにする有力なツールです。
よって、問われるのは「どれだけ出せるか」ではなく、「何のために、どう出すか」に尽きることになります。
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次回予告:なぜ“緊縮”が繰り返されるのか?──財政神話とメディアの影響
次回は、「なぜ日本では“財政再建”や“借金は悪”という言説が根強く残るのか」について掘り下げていきます。
- メディアや教科書で繰り返される“財政神話”とは?
- 財務省のロジックはなぜ強いのか?
- 「財源がない」という言葉が政治的に使われる背景とは?
この構造を理解することで、財政をめぐる本当の選択肢が見えてくるはずです。
続く