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【シリーズ第4回】

なぜ“緊縮”が繰り返されるのか?──財政神話とメディアの影響
「借金まみれの日本」「財政再建のために増税が必要」「福祉は財源が限られているから削減もやむを得ない」
こうした主張が私たちの暮らしの日常で繰り返されてきました。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
MMTの視点から見れば、「財源がないから支出できない」という論理は、構造的な思い込み(神話)にすぎません。
今回は、その悪しき神話がどのようにして醸成され、現代社会に浸透し続けているのかを掘り下げてみます。
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「家計簿のような国家観」の落とし穴
多くの国民が政府の財政を「家計」にたとえがちです。その方が身近で理解しやすいからですね。
「収入(税収)以上に使えば赤字になる」
「借金を増やせば破綻する」
「支出を増やすなら収入(税)も増やすべきだ」
一見わかりやすい説明ですが、すでに述べてきた通り、これは自国通貨を発行できる国家(主権通貨国家)には当てはまりません。
政府はお金を「稼いでから使う」のではなく、「使ってから税で回収する」ことができるからです。
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財務省のロジックはなぜ強いのか?
日本の財政政策において、財務省の影響力は非常に大きいものがあります。
彼らは一貫して「プライマリーバランス黒字化(PB黒字化)」という目標を掲げ、支出の抑制と増税を推し進めてきました。
この背景には
• 省益としての予算管理権限の維持
• 国債残高の増加によるリスクの誇張
• 「国民の将来不安を煽る」ことで緊縮への同意を得る戦略
といった、政治的・行政的な偏りやすい構造が存在していらからです。
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メディアはなぜ緊縮報道を繰り返すのか?
新聞やテレビなどのマスメディアもまた、「財政赤字=悪」という前提を疑うことなく報じ続けています。最近でこそ、積極財政も耳にすることがありますが、それでも、頭の中は疑問符だらけでしかみられていないふうに感じられます。
そこには次のような理由があります。
• 財務省からの情報提供に依存している(記者クラブ制度)体質・構造の問題
• 難解な金融政策よりも「家庭の借金」にたとえた方が伝えやすい
• 政治的中立性の維持の名のもとに「構造批判」を避けがちな日本の風土
こうして誤った財政認識が日常のニュースや教育にまで深く染み込んでいるのです。義務教育の教科書でさえも前時代の知識ではないか、と思わせる記述が見受けられる状態です。
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「財源がない」という言葉の本当の意味
「財源がない」というのは、しばしば政治的な判断の逃げ口上として使われます。
本当はこう言っているのかもしれません:
- 政治的に優先順位が低い
- 特定の利害関係者に不利になる
- 国民の理解を得る自信がない
つまり、「財源がない」という言葉の裏には、予算の割り振りに対する意思と構造が潜んでいるのです。
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本当に必要なのは“財源”ではなく“判断と説明”
MMTの立場から見れば、政府の財源は「税」ではなく「通貨発行能力」にあります。
したがって、現代貨幣論として本当に必要なのは「その支出が社会にとって正当であり、信用を損なわないかどうか」という判断と説明です。
「できない」のではなく、「やらない理由」を探す時代は、そろそろ終わりにできないだろうか?
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結び:神話を乗り越える力は、私たちの問いかけから
財政神話を覆すのは、経済学者や政治家ではなく、市民ひとりひとりの疑問と対話です。
• 本当にお金がないのか?(これは明白に間違いであることは既述のとおりです)
• それとも、ないことにされているのか?(必然的に導かれる疑問です)
• 社会に必要なお金の流れを、誰が止めているのか?(これは既得権益者が多層に絡み、重い疑問と問題点です)
▶︎次の社会をつくるのは、真実を見ようとする目と、声を上げる意志です。
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次回[第5回目]予告:公共サービスと国家の役割──「縮む政府」で何が失われたのか?
次回[第5回目]は、「小さな政府」が掲げられて久しい今、教育、医療、インフラなどの公共サービスがどのように削られ、社会に何が起きたのかを見ていきます。
• 公務員叩きの裏で起きていた“国の退場”
• 自治体の疲弊と地域社会の崩壊
• 「効率」と引き換えに失われた“安心と信頼”
財政の問題は、実は私たちの暮らしそのものに直結しています──
続く