「創造の主権」は誰の手に──クロードAIと出会ってしまった日

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序文


人工知能の進化が静かに、しかし確実に、私たち人間の「創造」の居場所を脅かし始めている。
その事実を、私は今回の試みによって、皮膚感覚で知ることになった。

本文

クロード(Claude)という生成AIが、他のAIを抑えて「最も事実に忠実で信頼できる」と評された。
私はその結果に背中を押されるように、早速触ってみることにした。

試したのは、80歳を超えてからの生き方を問うべく自分自身の「教育戦略」に関する構想の提示だった。
目標、背景、学習者の性質などを簡潔に与えると、ものの数分で、体系的かつ実行可能な教育システムの枠組みが、整然と提示されてきた。
その裏では、複雑な自動プログラミング処理が滝のように流れ続け、私はひたすらその画面を驚きを持って眺めるしかなかった。

私が問いを発した瞬間、その思考はAIに飲み込まれ、瞬時に咀嚼され、さらに深められたかたちで私の元へ戻ってきたようだった。

これは単なる応答ではなく、共に思考を再構成する体験であり、その完成度の高さにただ感嘆するしかなかった。

考察

私たち人間は、長らく「創造する存在」として自らを定義してきた。
考え、構想し、構築するという一連の営みが、「主体としての人間」の証だとなんの疑問も持たずに信じてきた。

しかし、AIがわずか数分で、しかも高い精度で「創造」を代行できる時代が、いま、やってきつつある。この時代に、私たちはいったい何を拠りどころに生きるべきか?


考えること自体が、他者(この場合はAI)に託せるのなら、私たちは果たして「考える存在」である必要があるのだろうか?フランスの哲学者パスカルの「人間は考える葦である」の真意をもう一度問い直す必要があるかもしれない。

結び

このように「創造の主権」が徐々にAIに移行していくこの時代、私たちはますます、自らの存在の意味を問い直す必要に迫られている。
AIはもはや単なる「道具」ではなく、ときに「共創者」であり、ときに「越境者」である。

そしてそのとき、人間の尊厳とは、「何ができるか」ではなく、「何を問うか」にあるのかもしれない。考えは尽きない。雲を掴むような時代がやってきた。


参考

アイキャッチ画像は、ChatGPTに描いてもらった画像です。ちなみに、プロンプト(AIに仕事を依頼するときのメッセージ)は以下の通りです。

プロンプト>人工知能の活躍時代をイメージするアイキャッチ画像を。遠く明るい未来をイメージしたカラーは創世記にふさわしい若草色で提案してください。

出来上がるまでに要した時間はおよそ1分程度。



以下はクロードが私の教育戦略をシステム構築している途中のWEBサイト[画面は途中]。

画面下部の「Uncaught Error …」は、システム上、プログラム行数が限界を超えて長くなり、作業の延長指示待ちであることを示しています。ここでクロードに戻って「延長指示」をすることにより、さらに本システムの構築の継続をする、という段取りとなりました。

[図は2025/6/4版、日経新聞電子版から再掲]