米ウォール街の若手金融マンの過酷な労働環境

【ニュースウォッチ250529】若手を追い詰める労働の実態と資本主義の影

今朝の経済新聞電子版で目に留まった記事のひとつに、「ウォール街で相次ぐ若手の死 週100時間勤務の過酷」というタイトルがあった。

米ウォール街では、若手金融マン(ジュニアバンカー)たちが過酷な労働環境にさらされ、心身の限界を超えて働いているという。その実態と背景について、自身の経験と重ねながら考えてみたい。

週100時間勤務が常態化する金融業界の現実

「週100時間勤務」という数字は、もはや人間の限界を超えている。それが常態化し、若手の死が相次いでいるという。今回報じられたのは、28歳の男性の早すぎる死。高額報酬と引き換えに、若者の健康や命が損なわれる現実は、社会として看過できない。

それでも変わらぬ「最前線で働く若者像」

振り返れば、こうした過酷な労働は昔から先端産業の現場に存在していた。中国では、優秀な若者がIT業界を選ぶという記事が最近あった。高収入とやりがいが動機だが、働き方はまさに今回報じられたウォール街のそれと酷似している。

日本でも、私がシステム開発の現場にいた40〜50年前、同様の長時間労働は「当たり前」だった。土日祝日もなく、納期に追われ朝9時から深夜まで。会社に寝泊まりするのも日常だった。

しかし、私自身ですら週100時間に達したことはない。本人にとっては目標に燃え、達成感のために走っていたわけだが、体力の限界に気づかないまま突き進み、ある日突然倒れる――そんな未来が、今回の若者に重なる。

本人の意思では止められない「異常」

問題は、こうした異常な働き方を「本人が異常と感じていない」点にある。やりがいに突き動かされている間は、社会や健康のリスクを顧みる余裕がない。

だからこそ、社会全体として、命と健康を守る仕組みを設ける必要がある。個人の気づきや自己責任では限界があるのだ。

資本主義の構造が若者を搾取している

ウォール街の若者の死は、単なる過労死ではない。それは、成果主義と高報酬を掲げた資本主義の「神話」が、現実の命を代償にしていることを突きつけている。

週100時間労働に追い詰められた若者が、希望と未来を持ちながら命を落とす――これは、もはや「個人の問題」ではない。

若さと体力を資源と見なす企業文化が、依然として利益の名のもとに「若者の燃え尽き」を黙認している。その構造は金融業界に限らず、グローバル資本主義の縮図とすらいえる。

問われるのは“持続可能な労働”への転換

経営陣が表面的に「労働時間の管理」を打ち出しても、それだけでは本質的な改善にはつながらない。

企業が、働く人間の命と尊厳を本気で守ろうとするならば、労働の“質”と“持続可能性”にこそメスを入れなければならない。[250528|9:30投稿]