2120 00
今日も30度超えの猛暑日予報である。
6:00-get up! 深夜6〜7回目覚めた。回数を覚えていないほど頻繁に起きた。起きるたびに、「きなこ」が私の領域に食い込んできて寝にくくなる。しかし、その寝姿を見ていると、追い出すわけにもゆかず、我が身を隅に追いやって片隅で寝るのが決まりだ。なので不眠症も我自身の仕業でもある。
→食事抜きでウォーキング開始
7:00-8:00 at SevenEleven Shop∟ ThinkingTime
今朝は Wilhelm Furtwängler の人物伝を調べているうちに、あっという間にタイムリミットとなった。
⇒ コラム記事
⇒ ウォーキング再開 / お腹が空いてきた ⇒ 帰路ウォーキングに切り替えた。
□freeWorking
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21:00- The day is drawing to a close.
22:00 going to bed.
▶︎プーチン氏支持率、調査方法を変えてアップ[参照 昨日の読売新聞]
プーチン氏の支持率が下がった途端、電話調査を直接訪問方式へ変更して数字が改善したという。対面で現政権支持を問われれば、本音より「安全な答え」を選ぶ人が増えるのは当然である。
これはロシア特有というより、人間心理そのものだろう。ただ、そこまで露骨に調査条件を変えてしまうところに、現在のロシア政治の空気がよく表れている。
▶︎米大学で進む「成績インフレ」 評価Aが急増、ChatGPT影響で
【要約】
米国の大学で、生成AIの活用により学生の課題評価が全体的に高くなる「成績インフレ」が問題視されている。特にカリフォルニア大学バークレー校高等教育研究センターの研究では、AI利用によって評価Aが増え、学生本来の理解度や能力差を把握しにくくなる実態が指摘された。大学側は従来型レポート評価の見直しや、口頭試問・対面試験の強化など、新たな評価方法を模索している。
【コメント】
生成AIは知識取得の効率を飛躍的に高める一方で、「誰が考えた文章なのか」という根本問題を突きつけているのである。成績評価とは本来、知識量だけでなく、試行錯誤や思考過程を見る営みでもあった。便利さだけを追えば、やがて学歴や成績そのものの信頼性が揺らぐ可能性がある。AI時代には、暗記力よりも「問いを立てる力」や「対話力」を重視する教育への転換が求められている。
▶︎高市総理の韓国訪問
これに対して韓国が「国賓に準ずる待遇で歓迎する」とニュースで報じられた。
[参考]果たして、国賓と、それに次ぐ、との差はなんでしょう?
👉 ChatGPTAI応答>「国賓」と「国賓に準ずる待遇(国賓級待遇)」の違いは、簡単に言えば、
- 正式な外交上の身分・格式
- 歓迎行事の規模や儀礼
- 法的・慣例上の位置づけ
の違いです。
今回の韓国側の発表では、高市早苗 を「国賓訪韓に準ずる礼遇」で歓迎するとしています。つまり、「正式には国賓ではないが、それに近い最大級の敬意を示す」という意味合いです。
一般に「国賓」とは、主として
- 国王
- 大統領
- 皇帝
- 国家元首
などを正式に招待する最高ランクの外交訪問です。
一方、日本の首相のような「政府の長」は、国によって扱いが異なりますが、通常は「公式実務訪問」「公式訪問」などに分類されることが多いです。
しかし政治的に特別な関係を強調したい場合には、
- 儀仗隊
- 軍楽隊
- 晩餐会
- 特別宿舎
- 首脳による出迎え
などを国賓並みにして、「実質的には最高級の歓迎」を演出します。
今回も韓国側は、
- 大統領自ら出迎え
- 儀仗隊・軍楽隊
- 騎馬隊
- 特別晩餐会
などを準備すると説明しています。
つまり、
「正式名称としては国賓ではないが、政治的メッセージとしては“極めて重視している”」
という外交演出なのです。
これは日韓関係改善や、日米韓連携を重視する姿勢を国内外へ示す意味も大きいと思われます。
✍️ 強固な半日発言でのしあがって当選した大統領であるが、自由に物を言える野党と与党の立場は異なる。安易な批判は避けたい。
260518 /ChatGPT-5
▶︎ノリさん投稿

スピーカー 流れ聞こゆる 運動会
今朝は Wilhelm Furtwängler の人物伝を調べているうちに、あっという間にタイムリミットとなった。きっかけは、朝のウォーキング中にベートーヴェンの「皇帝」を聴きながら、その解説動画を眺めていたことである。動画の評価が高く、指揮者としてのフルトベングラーとはどのような人物だったのか、急に知りたくなった。
昔なら、そのまま放置していただろう。調べること自体が面倒であり、資料に辿り着くまでにも時間がかかったからである。しかし今は違う。この一時間、AIという文明の利器が、知の海へ向けて強烈なライトを照らしてくれた。
すると、無限に広がる過去の出来事が次々と浮かび上がる。まるで果樹園に実がなっているのを見つけるような感覚である。
知識そのものの価値は、AI時代によって相対的に下がり続けている――理屈としては理解している。しかし、この歳まで「知ること」の価値を実感しながら生きてきた者としては、どうしても昔の感覚に引き戻される。かつては容易に得られなかった知識を、忘れてしまうと分かっていながら、つい貪るように追い求めてしまうのである。
もっとも、知識も食べ物に似ている。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というが、知識もまた、時間が経てば感動を忘れてしまう。
そんなわけで、今朝の「考える時間」は、すっかり知識探索に置き換わってしまった。
一方の音楽の感動はそっちのけ。たまたま動画の終わりかけにコメントを確かめると、この演奏はフルトベングラーではなくN響だとか、次のコメントには演奏が誰かよりも、堂々とした演奏で感動した、とか、、様々だ。それを追っても無意味だ。要は感動を与えてくれるものかどうかで知識はどうでもいい初心者の私がそこにいる。
260519 Morning Time
▶︎健康記録 今朝の体調 68/100 深夜覚醒回数 6
▶︎食事療法とレシピ ‖
☀︎朝食‖ 欠食
☀︎朝昼食‖
▶︎運動 ウォーキング・日光浴>8000
▶︎活動 ‖ 高活・老活・社活・猫活、読書 15分
▶︎その他
