老活260606(土)曇^晴25〜15℃

明日にも梅雨入りらしい。東海関東甲信地方のことである。

今日は私にとって小さくない進歩があった。

それは、料理に時間を費やしても苦にならない方法を見つけたことである。

少し大袈裟に聞こえるかもしれないが、私は長い間、「もし人間が食べなくても生きていけるなら、どれほど楽だろう」と思ってきた。食べること自体面倒なのである。しかし、お腹が空くので仕方がないという感じである。まして献立を考え、買い物をし、食材を処理し、調理し、後片付けをする一連の作業が好きであろうはずがない。当然、面倒に感じることがほとんだったのである。

そんな私が、今日は思いがけない発見をした。

きっかけはAIである。

買ってきた野菜の写真を撮りながら、「この部分は食べられるのか」「どう切ればよいのか」「蒸すのか焼くのか」「どんな調味料が合うのか」と次々に質問した。さらに栄養面や、自分の体質や持病との相性まで尋ねながら、その指示に従って調理を進めてみた。

すると驚いたことに、ストレスなく出来上がった料理が実に美味しかったのである。

何より快適だったのは、わからないことがあれば、その場で何でもすぐに聞けることであった。まるで隣に料理好きの先生が座っているような感覚である。

思えば、これまで料理に強いストレスを感じていた理由の一つは、「どうしてよいかわからないこと」が多すぎたからかもしれない。食材のどこまで食べられるのか、どのように調理すればよいのか、失敗したらどうしようか――そんな小さな迷いが積み重なっていたのである。

しかしAIは、その疑問に一つひとつ答えてくれる。おかげで料理は面倒な作業ではなく、先生付きの実験のような楽しさに変わったのであった。

振り返れば、子供の頃の私は食事にあまり執着がなかった。正月には餅を食べたらその日の昼食を抜くしきたりがあり、それが正月の楽しみであったくらいである。あの開放感は今でもたまらなく好きだが、かかりつけ医の厳しいお叱りで今はできないのが残念である。当時同居していた数人の親戚の子供たちが食べ盛りで、人の分まで食べては叱られている中、私だけは食べなさすぎて叱られていた。後々までそれを言われたものである。

そんな私が八十歳になって、AIに料理を教わりながら食事を楽しめそうなのである。人生とはわからないものである。

そして同時に感じた。AIはすでに多くの分野で人間の知識を補い、ときには凌駕する存在になりつつある。いや、料理のような日常の場面では、すでに凌駕していると言ってもよいのかもしれない。

では、人間は何を担うべきなのか。

今日の発見は単なる料理の話ではない。AIと共に生きる社会の入口を、私は台所で少しだけ覗き見たような気がしている。

2026/6/6 19:00